窓辺の喫茶

表千家茶道、茶人を目指す。アート、音楽好き。HSS型HPSのため臆病なくせに好奇心旺盛。日常に思ったことの徒然を書く。

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~HSPの日々~意外なことを誉められた

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

最近、新しく接する方とか再会した方など人間関係の流れがゆっくり変わってきた。

密に付き合ってきた方と疎遠になったりも有りつつ、変化の時期なのかもしれない。

 

自分では劣等意識しか無かった論理性なのに、「論理的に話をするね」とか「話の組み立て方が分かりやすい」とか意外や誉められることが続いてビックリしている。

 

これは、部下を抱えてここ数年かけて人に物事を伝えることを意識した賜物かもしれない。

 

HSPの特性だろうけれど、 小さい頃から他人に伝えること、つまりコミュニケーションは苦手分野。むしろ何も話したくなくて、聞いている方が楽だと思う質。できれば、ほぼ人と接したくなくて穴倉に誰も知られずに過ごしたいと思うことすらある(真顔)

 

脳内は人には話せないようなくだらないことを考えているし。

(それをブログに書いたりしてるんだけど)

 

日本社会で生きるためには穴倉生活をするわけにもいかない。サラリーマンを選んだ当時の私は、会社に行って、業務指示を部下に、調整したい内容を取引先の人に伝えなくてはいけないし、ときには議論もしなくちゃならなかった。

 

しかも、これもHSPの特性か普通の人に見えるようにしなくちゃいけないと思ってしまうところがあって必死でやっているうちに、気が付いたら理論武装と説明癖を習得していたようだ。

 

 

褒めてもらえると、そういう長所となった場所に気付けるもんなんだなあ~。

 

今さらながら人を『褒める』『認める』って行為が崇高なものだと、大発見だった。

 

人のいいところを褒めてください、認めてください!

ある一定の年代の人たちは「褒めて伸びる?甘えてんじゃねえ!」って考え方するけれど、違いますよ。

 

間違ったことは注意や指摘をしていいんです。

その反対に、 

よかったことは認めることは『自分の糧』を気づかせてくれる希少な機会なんですよ。

特に自己否定が強いHSPにとっては泣きたくなるほどうれしい体験。

 

そんな当たり前のことに気づいた話。

  

 

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる  「繊細さん」の本

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くるり ”ソングライン” は名盤だ

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

9月19日にくるり、20周年で4年ぶりのアルバム『ソングライン』が出た。

 


くるり - ソングライン

 

くるりといえば、『東京』や『虹』、『薔薇の名前』『奇跡』など名曲揃い。

※書ききれない、有名どころ以外も名曲ばっか

私がくるりを好きなのは、アルバムごとに創意工夫、カラーが変える力量。なのに、岸田ワールド全開だから(笑)

 

今回のソングラインに収められている局は20年前に作曲したものも含まれているからか、結成当初の曲からの愛好家も最近のくるりが好きなファンもどちらも楽しめる。

 

アルバムと同じ局名の『ソングライン』の意味は、アボリジニ天地創造をうたったものなのだそう。

 

中年になったウイスキーを飲む二日酔いの自分と、グラウンドを駆ける少年が交互にフラッシュバックする。

 

視覚(光・虹・風景)、触覚(氷・雨)、聴覚(メロディ)、嗅覚(草いきれ)、味覚(アードヴェグ・ボウモア)、巧妙にパズルのように組み合わせて感情を揺り動かす。岸田繁の歌詞は日本語の妙を捉えた情緒性がたまらない。

 

そして、電車オタクならでは「のぞみ」が東に西に走る言葉あそびもあるが、

 

所詮、君はひとりじゃないでしょ

生きて死ねば終わりじゃないでしょ

 

撃沈。泣くよ。 

 

これは自分も同世代だからなのか?

勿論、メロディーや構成もたまらないから丹念に何度もリピートして聴いてみてほしい。

 

『Tokyo OP』は作曲家岸田繁を遺憾なく発揮してワクワクが止まらない生で聴きたいし、『春を待つ』の旋律は青春時代を思い出すような、もっと前の70年代のにおいを感じるような懐かしく心締め付けられる。

 

『その線は水平線』はNHKの「ヘウレーカ」のエンディング曲だから耳馴染みがある人も多いよね。

 

もうね、全部好きだよ・・・(泣く)

 

そう、とにかくすべて素晴らしい!

 

つい先ごろ今年は終了したが、来年の京都音楽博覧会は久しぶりに参戦しようと心に決めたのだった。

 

 

 

茶道を習うのに『着物を着ること』のハードルは高いのか

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

茶道を始めるにあたって『着物』というハードルについて考えてみた。

 

私の場合は着物を着る機会が欲しかった!

 

そのため、「着るのってメンドクサイでしょう~」「大変でしょう~」という意見には共感できないであります。悪しからず。

 

しかし、10年ほど気が狂ったように着物に嵌って調べつくしたキャリア(?)があるので(現在もケイゾク中)その点はご参考になると自負しているわけで・・・

 

あ、もう一つお断りが・・・

女性目線で記事になりますので、男性には参考にならない部分もあります。

 

お稽古には着物を着ていかなくちゃいけないの?

イマドキ、それを強要する稽古場はないと思う。

表千家では上級者の宗匠稽古に行くときは、季節のルールに従った着物を着ていくのだそう。初心者に対してほぼないと思うし、仮にそういう稽古場であれば止めたほうがいいと思う。それ以外の諸々が堅そう・・・

洋服の場合は、白足袋の替りに「白いソックス」を持参しましょう。

 

私の場合は、着物を着て稽古をつけてもらう。

着物を着たいって欲望があるのと、何より着物をきた状態での点前を身に着けたいという考えがあるから。

逆にたまに洋服で行くと、襟とか袂に収納できないため、ボタボタ懐紙とか袱紗を落とす羽目になって情けないことになってしまう(涙)

 

そういう時はこんなアイテムもありますよん。

 

でも、茶会には着物をきていくんでしょう?

洋服の方も最近は多くなっていますよ。

正装ってことで、上はエリ付きのシャツ、下は膝下丈のスカートがいいそうです。(誰が決めたんだかは知りませぬ)ここでも白いソックスは必須となります。

 

着物の場合は、大寄せの茶会では小紋や色無地、江戸小紋の「やわらかもの」と呼ばれる、洋装で言うところの正装からお出かけ着くらいの格で着物を着る。紬は、カジュア

ル着の格になるので、高価なものでも着ていけない。

招く側は色無地から附下訪問着、訪問着等の正装をする場合が多い。

 

私は洋服を大して持っていないという問題があるので、着物のほうがどのレベルを着たらいいのかわかりやすくて楽ちん。

 

じゃあ、洋服で全然問題ないの?

全く持っていなければ、先生にお断りを入れれば問題ないと思うけれど・・・

お正月の『初釜』は一大晴れのイベントなので着物を着て畏まって行くのが通例かな。

この時は、色無地から附下訪問着、訪問着等の正装が好ましい。流派によっても違うので、先生や先輩に伺うのが一番いいけれど。

 

高いんでしょ・・・。

はい。お安くはないです。残念ながら。新品の正絹を求めるのであれば、ファストファッションレベルに安いものはありません。

 

でも、逃げ道はあるものです。

 

 その1.母や親せきを頼る

母親や親せきがお茶をやっていたとか、着物が箪笥に眠っている家庭も少なくないようで、問合せてみるのが一番だと思う。

サイズさえ合えば一式揃っているし、サイズが合わなくとも小物や下着類が手に入る場合がある。

私は母も親せきもお茶には縁遠い家庭だったので、ウール着物はあったものの普段着着物なので不向き。でも。成人式に使った下着類のみは入手できたのは収穫。

 

その2.リサイクルショップで探してみる

最近のリサイクルショップは現代人の体型にあったものが増えてきたので、10年前とは違って手に入れやすい。

行く場合は、着物に詳しい茶道の先輩に同伴してもらうことをお勧めする。

なぜなら、リサイクルショップ店員の言葉などあてにならないから。流派によって着物の好みも若干違ってくるし、茶道に触れたことがない店員は大抵適当なことを言うものだ。お金をかけて、トンデモコーディネートを揃えてしまっては勿体ない。

 

なかにはしっかりしたお店もある。なかでも茶道の着物探しにおススメは『川越の右左(uza)』さん。

こちらの店主は着物や茶道の知識も豊富でお話しは勉強になるし、センスのいい取り合わせで質のいい着物が揃えられている。

お手頃価格の色無地も多いので、足を延ばせる方は是非相談してみてほしい。

 

www.kimonouza.com

 

その3.ネットショップを利用してみる

体型が標準体型であれば、ネットショップでプレタの着物を探してみるといいだろう。プレタとはプレタポルテのことで、洋服と同じく既製品を指す。

着物は基本的には反物を選び、マイサイズに仕立ててもらうオートクチュール

最近は、浴衣の人気と共に、プレタの着物も増えている。しかし、私のような身長150センチ小型人間には利用しにくいという難点もある。

また、インターネットは画像の色味も保証できないし、その場で試着できないのでサイズ感がわからない。初心者には難しいかもしれない。

そして用意するものも着物と帯だけではないので、一番手軽そうで初心者には面倒。

 

私の経験で言うなら、着物について雑誌情報だけで何も知らず相談する人もいない時に、ネットならお手頃と買ったものは全部失敗だった・・・爆

 

あえて、購入するならばモノトーン(黒やネイビー、グレー)のもので色無地や江戸小紋であれば失敗は少ないかも。

サイズは書かれているものをよく見ましょう。身丈が自分の身長に近いもので、裄丈が首の付け根背中の真ん中から手首の関節までの長さと覚えておくと、失敗しにくい。

ただ、やせすぎやふくよか体型は羽織ってみないとなんとも言えません。

 

きもの都粋さんは比較的リーズナブルでいいものを揃えているように思う。↓はポリエステルだが、東レの素材のため一見絹に見えるし、自宅で洗えて初心者にはありがたい。

実店舗にも同じ商品が置いてある場合もあるので、気になったら足を延ばしてみることもできそう。(事前にあるか電話で聞いたほうがいいよ)

toiki.jp

 

ショッピングモールなどで見かける「やまと」さんのオンラインショップもお手頃だし、ものによってはメチャクチャお得だったりする。

店舗では売っていないしお取り寄せできないそうなので、別のお店と考えて利用したほうがいいかも。

www.kimono-asobi.net

 

何より自分で着れません!

 

初釜だけ、茶会だけに留めるのであれば、着付けを頼む!

着物っていいなあ・・・気軽に着たいなあという心が芽生えたら着付けを習ってはどうだろう。

あんまり構えないことが一番だよね

 

近所に着付けができるサロン紹介サイトもあるよ。

kitsuke-navi.com

 

 結論、ハードルが高いと思えば高いが逃げ道はいくらでもある。

 

私の願望としては茶道を入口にして、着物イイナと思う人が増えたら嬉しいな。

 

 

 

www.madobekissa.com

www.madobekissa.com

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平常心是道~ビジネスマンこそ茶の湯を~

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

月に3回稽古場に通っている。

今年で7年目となるけれど、この世界ではまだまだヒヨッコ。

 

さて、茶道を体験したことがない友人には未知の世界らしいので、いったいお稽古(表千家)とはなにをするのかを説明してみよう。

 

まず、通常の稽古は割り稽古と呼ばれるもので、大きく分けると薄茶・濃茶・炭の点前のいずれかを行う。

何のために稽古を行っているかというと、『茶事』を催すのための鍛錬。茶事とは自らの茶室に客を招き、懐石に始まり濃茶、薄茶を4時間(二刻)の間にもてなす、今で言えばホームパーティ(?)のことだ。

そのため、茶の道を本気で進む人は別途、懐石料理や和菓子、書道、茶花、茶庭の手入れなどの勉強も励んでいる。

 

まず入門したら、基本である薄茶の「運び」と呼ばれる点前をできるように、さらに細分化して稽古をつけてもらう。師匠は弟子に合わせて稽古をつけるので、心配することはない。一連の動きは不思議と次第に体に染みついていくもの。気が付くと茶室に入り茶を点てて、道具をしまい退出するまでの動きができるようになっている。

 

また、茶を点てる亭主の稽古のほかに、茶をいただく客の稽古もある。席への入り方、菓子のいただきかた、茶の飲み方の動きもそれぞれルールがある。難しく考えることはなく、円滑に気持ちよく茶を愉しむためのものだ。

 

はじめは、なぜこのような動きをするのかと疑問が多いが、覚えていくうちに意外と合理的で美しい動作であることが分かってくる。それにともない、どのように体を動かせはより自然で流れるような点前になるのかが分かってくるし、そのように師匠も稽古をつけてくれるようになる。

 

点前が体に染みついてくると、体中に神経を張り巡らしつつも、無心で茶を点てるようになる。動作の順番を考えずに、呼吸が整い、無駄のない動作で美味しいお茶を点てることに集中する。

亭主と客の呼吸も合うと、ひとつの完成された空間になる。

優しい外光が降り注ぐ茶室。茶釜の蕭蕭という音、柄杓から立ち上る湯気、抹茶と湯を入れた茶碗に茶筅を振ると、茶の青くかぐわしい香りがほんのり漂う。五感が研ぎ澄まされていくのを感じる。

 

最近、マイドフルネス(瞑想)が臨床心理学や精神医学の世界で効果がみられるということで注目されているが、それに近い効果が茶道にはあるように思っている。

稽古が終わると、日々のストレスやそれの発生要因となった出来事が頭の中でリセットされて心が穏やかになるのを感じる。

 

特に、毎日上司や部下、客からの過度なプレッシャーに晒されるビジネスマンに私はお勧めしたい。

 

現在は女性の茶道が盛んだが、もともとは男性が嗜んだ趣味だった。

戦国武将も茶人に弟子入りした者がたくさんいた。道具の価値やコレクター的な部分が取り沙汰されることが多いが、実のところ戦や家中での権力闘争、親族内でのいざこざと隣り合わせの毎日から、茶室に入った瞬間だけは忘れてリラックスすることができるからだったのだろう。特に、狭くわざと地味に見えるように作り、光の入らない利休の好んだ茶室はより集中力が高まり、マインドフルネスの効果が強いように思ってしまう。

 

茶の湯を嗜み始めてから、点前ができてリラックス時間が取れるようになっただけではないように私は思っている。

大きくこう変わった!と叫べるものは何もないのだけれど、この7年間で丁寧に生きること、自分の人生への心持がゆっくりと変化していった。

茶を点てることで、自然と自分自身と向き合うことができている。

 

平常心是道~びょうじょうしんこれどう~

 

わが師は節目節目に、この軸を好んで掛ける。

 

そのまま訳すと「常日頃の心構えが道である」という意味。修行しているとき、特別なときだけが悟りのへの道ではないのだ。

この道は本来は仏道であるが、茶道として置き換えると、茶の道は日常とも繋がっているというように読める。

禅宗の教えにも「生活禅」という考え方がある。ごはんを食べる、掃除をする、風呂に入る、排せつするときまで、生きて活動しているすべての時間と行っていることが修行ということ。

 

怒ったり、落ち込んだりなど心が乱れたとき、呼吸が乱れて点前も乱れる。心なしか焦っているときはテンポが早まり、せわしない点前になる。自分の精神状態があからさまに見える。師匠の注意ではたと気づく。

 

そんな時は自分と向き合い、目を閉じて呼吸を戻そう。

 

最後は甘い菓子と苦い茶で心のしこりを流してしまおう。

 

 

新版 はじめての茶の湯 (実用No.1シリーズ)

新版 はじめての茶の湯 (実用No.1シリーズ)

 

 

 

 

HSCだった私~眠る前のおまじない~

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

秋の夜長、肌寒い。風邪引かないように温かくして寝ましょうね。

 

夜を意識する季節になったからかな。唐突に子供の頃、眠る前にお祈りをしていた記憶が甦ってきた。

 

我が家は日本でごく一般的な家庭と同じで特定の宗教は持っていない。正月は神社へ行き、家には神棚があり、お葬式やお墓参りはお寺。

祖父は北陸のひと。浄土真宗を信奉してたから、泊まりにいくと朝は仏様にお経を上げていた記憶はある。

 

話を戻そう。だから我が家の習慣ではなくて、いつからか神様と仏様とご先祖様に今日のお礼と明日も良き日になるように布団のなかで祈ってから眠るのを習慣にしていた。

 

なんだかいい話のように思っていたが違うのだ。

 

この行為は誰かに教わった訳ではなかった、明日悪いことがないように自分を安心させるための布団のなかで誰にも知られない儀式。そうでもしないと、また朝がやってくるのが怖かった。

たまに、暗闇で頭の中が締め付けられるような気持ちの悪い感覚に襲われることもあって、それは一番の恐怖だった。 

 

それを、思い出した。

 

幼稚園から小学生の頃、いつも不安で過ごしていた。友達に嫌われないか、先生に怒られないか、親に怒られないか、とろい自分は他のひとに同じことができているか、不安で怯えていた。

たまに心がワクワクするほど楽しい気持ちになっても、こんな浮ついた心でいては次の瞬間には悪いことがやってくる気と思って、ワクワクするのを必死で抑えた。突き落とされる恐怖を回避するための自分なりの自己防衛だった。

 

これがHSC(Highly Sensitive Child=とても敏感な子供)という気質を自分が持っていたからというのが今は分かる。 

 

始めはぼんやりとした 幼稚園の頃の断片的な記憶

 

体が小さい私は数人の男の子に追い掛け回されて恐怖だった。

縄跳びのテストがあった。母に教えられた跳び方が他の子どもたちと違って笑われたのか、ひどく恥ずかしかった。

ある日、親友であるAちゃんを鶏小屋の掃除で、誤ってけがをさせてしまったことがあった。記憶の場面は変わって幼稚園のクラス。まわりの園児全員と先生がが軽蔑の目で私をにらんでいた。

 

幼稚園から社会へデビューをして、自分は周りより劣っているという強烈な実感を抱いたんだと思う。

 

友達関係を築くのも苦手だったので、本当はひとりが気の知れた少数の友人とのみで過ごしていたかった。

幼稚園や小学校、狭く小さなでさえ社会生活はそういうわけにもいかない。

友人と思っていた子に突然突き放されるような言葉を投げかけられたり、学校での成績もよくなかったから先生に注意されるのではないかとおびえていた。親からは妹と比較されて「とろい」と言われ、門限(日が落ちる前)までに帰宅しないと鍵を閉められる。自己評価は古いが『どじでのろまなかめ』だった。

基本的に自分は他人より劣っていて、自分がどこで失敗をするか、他人にどんな目で見られるのか、特に小学生低学年のころまでは毎日が恐怖だった。

 

それでも、それを気取られないように毎日を過ごした。

どんなにつらくても、父親が泣いてはいけないというから絶対に泣けない。

不登校という概念がなかったから、嫌な思いをしようが学校に行くのは当たり前だと思っていた。

表情が薄い子供だったかもしれない。昔の写真を見ても満面の笑みで写っているものなんかあったかな。

 

 

決して親にはこんな気持ちがあることは話したことがない。こんな年齢になってこれからの話すことはないだろうと思う。

 

きっと、不幸な境遇にいたわけではなくて、誰にでも起こっている事象をHSCたちは深く深く考えすぎて辛くなってしまってしまう。それは、他者には理解されないのも何となく分かっているため相談もできずに独りで抱え込む。

 

30歳くらいになって、他人が自分をどう思っているかとか、不安を持ちすぎてもただ辛いだけだとようやく気付いた。問題の切り分けがわずかながらできるようになった。

 

その経験から考えすぎてしまって辛いという若い子たちにはそういったことをアドバイスすることもある。ある一定の年齢になると、少しずつ肩の荷が下りる時が来ると思う。

 

さて、HSPを少し手放すことができてから、もう一つの気質であるHSSが強く出てきたんですけどね・・・

それはまた別の機会に。 

 

自分はどうだろうという方、自分の気質を知るということは少し気分が軽くなるのでお試しください。

また、お子さんが他人より敏感な気がするというかたも調べてみると、なるほどとこれまでの不安が解消できる部分もあるでしょう。

 

↓エイレン・N・アーロン博士のホームページにある、HSC・HSPのセルフチェック

Is Your Child Highly Sensitive?

 

 皆さんに穏やかな眠りが訪れますように。では。

 

 

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子

 

 

貴乃花親方の引退から思うこと

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

始めに予防線引いちゃうけど、さして相撲協会に詳しい訳ではないです。

 

ただ、これまでの一連の事件やそれ以外のことに関して相撲協会を弟子たちやこれからの新しい世代に残していくために貴乃花親方の思う「正しい」方向に導きたかった。

それが成せなかった。また、自分の弟子たちに影響が及ぶことを控えたくて今回の結果に結びついたんだろうなと察する。

 

相撲協会の真実がどんなものかは分からないが、

 

伝統的に隠ぺい体質や暴力を含む脅し(パワハラ)は、相撲協会だけが行っているわけじゃない。

 

だからといって、それに甘んじてしまうのは良くないと思う我々若い世代は多くいる。

 

私も以前、客先で行っている業務のリーダーをしていて、客先のグループリーダー(課長ではなく課長補佐だった)の50歳代の男性にオフィスの真ん中でほぼいちゃもんのようなクレームという名の脅しを含む恫喝をされたことがある。

 

「こっちで内製化するから、取引をやめてやってもいいんだ」

「お友達感覚で仕事やっているんじゃないんだ」

 

無茶ブリや仕様ができていない仕事を押し付けられることも多くて、毎日どうにか発注側がやらなくてはいけない内容までを整理して仕事を回しているのに文句言われ放題。

というか、こんなこと言ってもいいの?というレベルの低い内容。

発言すべて道理に嵌っていないので反論もしたくなるし、出来るものなら取引やめてもいいと言いたくもなったが、自分の会社や働いている部下を考えるとさすがに謝るしかなくて、悔し涙を流した。

 

そのグループリーダーは取引先だけでなくて、部下へのパワハラも日常茶飯事で、そのグループは何人もメンタルの異常として長期休暇をしていた。

 

そんなにおおっぴらにやりつつ、部長がくるとそういうのパワハラ行為をやめるんですよね・・・(よくないことって内心わかっているのがいやらしい)

でも、やられているほうもなかなか言い出せない・・・みんなも知っているけど、見て見ぬふりをしてる。

 

大きな企業ですから・・・パワハラホットラインもちゃんとあるんですよ。

 

でも、日本人独自なのかな。

パワハラ受けて訴えるほうが悪いとか、弱いとか、間違ったことを「間違っている」と言うほうがおかしいというところから話が始まることがよくある。

そういう意見をいう人がいたりもする。

 

パワハラだけでなくて、上司にこうしたほうがいいんではないかとか、こうしてほしいとかそういう類を相談するのも、最終的に責任は言ったほうにブーメランして、「やる気がないからそんなことを言ってくるんだ」などどマイナス評価につながる場合もある。

 

私も突然退職した上司の仕事、これまで継続してやっている仕事、受け持つ部署が増えて仕事が重なって散々頑張ったけれど、精神的に限界になって半分キレ気味で陳情した。

「もう無理だ」

という言い方が悪かったのだろうか(それは自覚しているw)、残業時間が少ないと判定されたのか(残業が多い方が働いてる認定される体質)やる気ない判定を下されて突然の降格人事。

さすがにワラッタ。

 

 

貴乃花親方の引退を選ぶまでは、思いを伝えるための努力やすさまじい苦悩があったのだろう。報道されないことは分からないけれど、裏で様々なことがあったんだと想像を禁じ得ない。

一種の諦めがあったからか、すこし離れて見てみる気持ちなのか、これから反撃をするのかは分からない。

 

でも、この話は浮世離れした相撲協会だけではなくて、日本社会に未だによくある光景を分かりやすいプロットタイプとしてまざまざと見せつけられていること、それに対してこれから私たち自身はどう働きかけていけば世の中が良くなっていくのか。

 

その問題を突き付けられているように私個人は感じた。

 

解決策は難しいことではなくて、皆が少しの想像力と思いやりを持つこと。

弱者に力で抑えつけても、それは改善につながらず禍根しか残らないこと。

そういう認識をお互い持ってみる。とても簡単なことなんだけどな。

 

では、また。

金木犀の記憶

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

暑さが急に退いて朝晩は肌寒いくらい。昨日辺りから私の住まい周辺に金木犀が咲き始めたのを感じた。

 

秋だなぁ~。

 

香りの記憶からの連想。

 

 

小学5年生の時に新潟県N市から群馬県G町に引っ越した。隣県だが、気候も風土も違う、植生も違うをことをこの時知った。

 

新学期が始まって少しすると、街中に金木犀の香りがむせるほど充満したのは、初体験でありセンセーショナルな出来事だった。

近所にあった大木には小さな花をたくさんつけていて色を変えているのも印象的であった。

 

私はたちまち甘く優しい香りに魅了されてしまった。

 

大木の下はしだいに金色の絨毯となった。花は散っていく。

どうにか手元に香りを留めることはできないかと花を摘んで瓶のなかに水と混ぜて香水にしようと試みたがしばらくすると茶色の汚い水になって断念するほかなかった。

小学5年生当時、植物は酵素で変色するとか、乾燥させてオイルとかアルコールにとか漬けるなんて知識も材料もなかった。

ただただ、もっと何らかの技術があればと子供の無力さを情けなく思った記憶がある。

 

1週間ほどしたら芳しい香りは花が散るのと同時に去ってしまった。夏が去って秋の訪れを告げ、香りの終わりとともに草木が枯れゆく物悲しい季節がやってくる。

 

ちょっと切ない思い出。

 

 

そして、この時期に聴きたくなるのはフジファブリックの『赤黄色の金木犀

金木犀の色を「赤黄色」とする志村くんのセンスは亡くなって来年で10年経つけど色褪せないね。

 

ア・カ・キ・イ・ロ・ノ、き~んも~くせ~いが~

 

色の表現が金属的に聞こえ、金木犀の花は柔らかく歌う。

深緑色の葉から覗く、鮮やかな「赤黄色」のまぶしさが目に浮かぶような演出だ。

 

さて、これは誰に宛てた曲なのだろう。志村くんの甘く切ない伝えられなかった恋の相手なのか。

 

いま、透き通った美しい声で総くんが歌うそれは志村くんへ向けたように思ってしまうよ。

 

赤黄色の金木犀

赤黄色の金木犀

 

 

フジファブリック

フジファブリック

 

 

 

 

住まい近くの金木犀は、地元と違って僅かしか咲かない。儚い香り。

気候変動で四季がなくなってきたというけれど、欠片でも探して感じる心は失わないようにしよう。

 


フジファブリック 「赤黄色の金木犀」

呪いの言葉と部下の育成について考えてみた

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

数日モヤモヤしていました。いやあ、ずっとモヤモヤしてたからブログを始めたのもあるような・・・ひとつ要因がわかったような気がする。

 

偉そうな文面もあったかもしれないが、大きな声で言おう!

 

私は自己肯定心が実に低い人間です!

 

学生時代の成績もぱっとしない、最終学歴もどっちつかず、北川景子のように美人でもなく、むしろ平らな顔族代表だし、やせ形の凹凸のない体型、フェロモンなど一切なし、だから?男性にモテない彼氏なし。

確実にオバサンと言われる年齢、さらにバツイチだから取りつく島もない。

この年になって、お金の管理能力もないし、整理整頓も掃除も苦手。。。いちいち言うだけで女子力が低いことも露呈してるかも。

 

おまけに尊敬する人はみうらじゅんだし、最近のマイブームは縄文と古代文明について考えることだ。茶道をたしなむがロックバンドをこよなく愛し、ライブの次の日は筋肉痛だ。

 

ん、もはや何の話?

 

ま、そんな私だが年齢的にリーダーのようなポジションについている。

はじめはたった10人程度だったけど、経験がないのでうまくいかないことも多かった。

それまで、もちろん一流企業に勤めたこともなく、主婦だったときの前職は事務派遣のために余計そういったノウハウは全くない人間で当たり前といえばそうなのかもしれない。

 

思ったとおりに動いてくれない部下に対して口調厳しく指導したことなどあり、反感を買って全員に総スカンを食ったことがあった。会議室で全員に詰め寄られて詰問されるという事態になった。

 

エンジニアが主力の会社のため、入社年数の短いわたしがたまたま上司になってしまったのを『前職が事務派遣のくせ』にとか、『入社年数も短い癖に偉そうに』という気持ちがあったらしいというのは後から知ったことではある。

 

どちらにせよ、リーダーとして強くあらねばと虚勢を張ってしまった挙句、中身のない厳しいだけの痛い指導方法を選択してしまったことに非があると感じた。

その反省からできるだけ平等に部下の話をよく聞いて問題解決をしていく姿勢を貫くことにした。

 

部下を引っ張るリーダーではなく、寄り添うリーダーであろうというのが私のスタンスになった。

 

それが正解かどうかは未だに分からないのだけど、部下とのコミュニケーションはうまく取れるようになったし、職場の雰囲気も徐々に良くなっていった。

部下を甘やかしているとか、ぬるいという人もいるとは想像する。いまのところ私としてはこの方法は最良だと向いていると思っている。

 

その理由は以下となる。

 

さて、一方で私の上司からの指導はどうであったのか。

 

良い表現をすれば、愛のある叱咤激励であった。

 

いや、実を言うと都合よくそう思い込んでいたんじゃないかと今さら気づいたのだ。

そして言っていた当人たちも、私を鼓舞するように親切心で言っていたのだと思う。

 

「所詮、事務派遣だからな」

 

「まだまだ事務派遣根性がぬけない」

 

「大企業で教育を受けてないから仕方ない」

 

飲みながら、真面目な席で何回言われたことだろう。

私は、ある時は真面目な顔で、ある時は笑いながら頷いていたと思う。

何しろそれは、叱咤激励だから。私のためを思って言ってくれているのだから。そう信じていた。

 

特に私くらいの世代までは、先生が生徒に、先輩が後輩に、上司が部下に、年長者が年少者に怒号を浴びせたり、頭ごなしにできないことを否定し厳しく接することが当たり前とされてきた。

実際、自分もそうされてきたからそれが当たり前と思っていた。。。

 

しかし、本人は気付かないけれどその度に自己否定が澱のように静かに溜まっていくのだ。

 

特に私の言われた言葉は私の経歴だ。それを否定されてしまっても取り戻し用のない過去。

改善のしようがないことは、深層心理に刻み付ける恐ろしい呪いの言葉だった。

 

 

なのに上司は、別の時には自信を持てとか言うのである。

どの口がいうのだろう。自己肯定心とか自信なんて植えつけられる筈ないじゃないか。

 

私はそれを自身で実感した。ついぞ今のいままで私は仕事に対する自己肯定心は上がらない。

 

人のせいにするのはいけないと良心の呵責を感じながらも叱咤激励を繰り返した彼らを思い出して怒りの感情だけが残っているのになぜか泣けてくるのだ。

 

 

一言だけでも、共感したり良いところを認めてくれたら逃げ場もあったのにと思ったりする。(こんなこと言うと人のせいにするなとか、甘えているとか言われちゃうんだよな・・・そう言われたこともあるよな。どうすりゃいいんだろうね。)

 

 

このような振り返りから、自分が部下に対してやっていた過去の行いが明らかな過ちであったことの具体的な証拠が揃ったような突きつけられた。

ただし、私は彼等の来歴を否定することはしていないのだけは言っておこう。

 

それでも今はあの時の自分を激しく反省し、当時の部下に対して心から懺悔をしている。

 

だって、何が彼等にとっての呪いの言葉になっているかは分からないんだもの。

 

そして、リーダーである人や後輩を教育する立場の人がこれを読んでいたらアドバイスしたいのです。

 

部下や後輩の仕事がうまくいっていなかったら、躓いていたら、叱らずに一緒に寄り添ってうまくいく方法を問題の要因から追及して考えて見てほしい。

 

経験上、要因は大抵は部下や後輩の問題ではない。そもそも仕事のしくみだったり職場環境だったりする場合が大半だ。

 

だから、まず始めは、悩んでいた部下や後輩が頑張っていたことは評価しよう。できたところまでを評価しよう。部下や後輩のいいところを見つけて褒めよう。

そうすることで、部下の落ち込んだ気持ちは持ち直して、次へとつながるモチベーションとなる。

しっかり考えてみれば、必ずいい場所はひとつやふたつはあるのだから。

(それができないのはしっかり部下を見ていないということだと思う)

 

そして、一緒に要因を分析してみよう。部下に書き出してもらったものを二人で確認してみるのもいいかもしれない。

次は対策と実践。サポートしながらも部下がいいと思った案を採用してみよう。

 

その問題が解決できた場合は二人やチームの結束は固くなるだろうし、部下がひとりで悩むようなことはなくなり、より仕事はうまくいくようになるだろう。

 

問題がうまく解決できなければ、もういちど要因を探りなおそう。失敗だったとしても、二人で試したことは無駄ではないことを振り返ろう。

気長に気長に部下と寄り添う。それが上役の仕事だと私は思う。

 

その繰り返しで、部下が危機感を感じた場合は自動的に部下は報告や相談をしてくるようにもなるから、未然にミスを防止できるようにもある。

 

気付いたろうか、最大の利点はリーダーや先輩であるあなた自身も仕事がスムーズにやりやすい環境が自然と作られてくるのだ。

 

 

 

特に女性のリーダーにこのやり方はおススメしたい。ただでさえ強い女性リーダーは部下や後輩の鼻についてしまうことは否めない。

また、強がるあまりに人に頼ることを苦手とする場合も多い。

強がるのはやめて、母のように、姉のように部下や後輩に接することで摩擦が発生しにくい環境が生まれる。(ちなみにセクハラと思われないように距離感も一定を保つこともポイント)

 

でも、あいつだけは嫌いだ!という意見もあると思うし、どうしてもうまくいかないのは私のせいだろうかと落ち込む人もいるかもしれない。

 

もちろん、私も人間なのですべての人を100%辛抱強く寄り添い正解に導くことができるとは絶対と言い切れない。事実、去って行った人間もいるんです。

 

相性が合わない場合もある。だから、そんな時は失敗に終わっても自分を責めることはしないでほしい。そこまで頑張った自分を褒めよう。

 

自分たちのできる範囲で、自分たちのできるペースで進めばいいのだから。

 

 最後に、部下や後輩が育った時の喜びは何にも替えがたい幸せだよ。

 

そして、最もあなたを助けて自己肯定心をUPさせてくれるのは部下や後輩になるんだよ。

 

すべての人が、楽しく前向きに仕事ができることをこころから祈っています。  

 

では、また。

まったくココロが合わないことが分かった件

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

あの世の入り口、賽の河原には石を積む子供がいて高く積むと狙って鬼が崩しにくるんだそうだ。

崩される側のやるせない気分になりがちな今日この頃。

 

気分が腐っているときは、お酒を飲んで管をまくやり方もあるけど疲れが取れるわけはなくモヤモヤガ残る。

笑って愉しむことが一番だ!

 

ということで、仕事が終わってから予定がない仲間がに集まってボドゲをやるのが恒例になりつつある。プレイヤーはその時の気分。誰が来てもよくて、20代から40代まで男女色々。

 

今回は『ヒト+イロ ~この色なに色~ – Match Me!』をやってみた。

 

gamemarket.jp

 

みんなの色(ちから)を合わせてゲームに勝利しよう!
文房具? 車? はたまたヒーローや物語まで。お題カードからみんなの色が合う言葉を考えよう。色(こころ)を合わせるパーティーゲーム

プレイヤーは全員協力して同じ色のカードを順番に出します。
どの色を出せばいいのかは、手番プレイヤーがお題カードから連想されるものを言って、指示します。でも人によって色の印象が違うからなかなかうまくいきません。
5枚カードを裏向きに出したら答え合わせを行い、すべてのプレイヤーが順番も含めて一致していればプレイヤーの勝ちとなります。

難易度が調整可能で、より簡単に、より難しくすることが出来ます。

※タイトルはヒトトイロと読みます。十人十色から来ています。

 

 

このゲーム。いかにみんなが色を連想しやすい単語をチョイスするのがポイントだ。

 

A:家にあるもの・・・こめ!

BCDE:米~ww(白だよね)

E:普通の奴だよねw

 

B:ええっ、ペットの名前?!え、難しい

(しばらく考え込む)

A:いろいろあるよ~

B:えっ・・・・ヒ、ヒロシ!

※匿名にしたのに名前出ちゃった(笑)

A:げ!!わ、わかんねえよ!お前の名前ジャン!

D:この中にあるの?ヒロシの色?

 

C:花の名前かあ。う~ん。

  チューリップ!!(なぜか自身満々)

E:え~、思いつく色3色だよ!!

C:ふん~ふん(チューリップをハミング)

D:これでいいやあ

A:どっちだよ!

 

D:のりもの・・・

  え~とお~。湘南新宿ライン

E:!!!色?何色?

C:見たことないよ~乗ったことないし

B:宇都宮のほうに行くやつって違うデザインじゃなかった?

A:高崎いくやつと一緒だよ。え~3色思いつく。どっち~??さっき使ったよ~

 

E:西洋料理。う~ん。この手持ちのカードで。

  ナポリタン・・かな(オレンジを想定)

C:うっ。もうない。

A:もう全然合わない!

 

◆答え合わせ◆

家にあるもの 米 ⇒ ホワイト(まあね)

ペットの名前 ヒロシ ⇒ ゴールド(なぜ?)

花の名前 チューリップ ⇒ イエロー(赤と白もあるじゃん!)

乗り物 湘南新宿ライン ⇒ シルバー(わかりにくいし~緑とオレンジもつかっているよ!) 

西洋料理 ナポリタン ⇒ オレンジ(西洋料理なのか微妙だけど)

 

AE:合うわけない!!(爆)

 

手番プレイヤーBのブッコミにより、2枚目で崩壊w 

この後2ゲームやったけど、まったくそろわず断念!!!

 

ゲームのポイント無視者続出の悲劇!!

 

まったくココロがあわないけれど大笑いしてスッキリした。

いつも冷静なメンバーのおかしな発言とか、意外な一面も見えて仲良くなれるしおススメです。 

 

またやろう~!

[rakuten:joy-games:10000564:detail]

 

 

 

 

日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

  

先日、女優の樹木希林さんが亡くなられました。

長い人生のなかで辛苦はたくさんあったと思いますが、あんなに既存の価値観に囚われず自由闊達に、発言は歯に衣着せず、自分のペースで生きる姿に尊敬を抱いていました。

女性だからとか、時代だからとか、こういう環境だからとか、すぐに逃げ込む自分がとてもとても恥ずかしくなってしまいます。でも、だからと言ってすぐそのようにできないのも自分。生きるって葛藤が多いものです。

 

さて、樹木希林さんの遺作になるのでしょうか。10月13日(土)に『日日是好日』の映画が公開されます。

予告編見ただけで胸が詰まって泣きました。

 

ストーリーは映画の公式HPにあるので書きません。

茶道に興味がない人にも、経験者にも是非手に取ってほしい、幸せな時間が流れる物語。

 

ここからは私個人の話。

 

主人公と同じ表千家茶道をはじめて、まだ7年目。もう7年目なのかもしれない。

高校時代に茶室を横目に眺めてから、こころの端っこにずっと興味があったけれど、入口が分からなくてずっと不思議の世界だった。

 

友人のつてで、師匠を紹介いただいた。やさしくて真面目な素敵な先生。

だから、たまたま表千家茶道を習っている。

 

始めはチンプンカンプンだったお点前を徐々に覚えて、夏と冬のお点前だけでなく、季節ごとのしつらいや炭点前も稽古してあっという間に一年が経つ、二年が経つ・・・

道具により形を変えても、基本の型を繰り返し繰り返しなのだけど、その時々の自分自身が点前に乗っていく。

 

本来は禅宗の教えを実践しているものだから、自分を失くし自然のままに淀みなく流れるようなお点前を目指している。

 

こういう書き方は語弊があるかな。ちなみに宗教や思想を教えられることほぼない。

 

茶室のなかで、もっとも大切にしているのは主と客に通うもてなしの心。思想といえばそれに尽きる。

 

だからこそ「我」を感じて、「我」と向き合う時間がそこに生まれるのだろう。

 

心が安定している日は互いに気持ちの良いお点前になる。焦っているときやイライラしている日は、呼吸が乱れて雑になったり異様に早いお点前になってしまい咎められることもある。「我」が出てしまう瞬間だ。

 

「我」と向き合うなかで、私は人生のやり直しを思い離婚を経験した。茶道のせいでは全くない。心持ちが変わってきたなかのひとつの節目が起きたのだった。

 

生活も大きく変様変わりして、当たり前のことだが自分の足で地面を踏みしめて生きていくようになった。

仕事も変わった。とりまく人間関係もどんどん変わっていく。悩みも変わる。

 

でも、変わらないのは茶室に座して茶碗に向き合い茶を立てる瞬間。

 

こころを鎮めて一心に一服の茶を点てる。

 

茶道というものが始まって、千利休がわび茶を大成させた。彼と私をはじめとする現代人は環境も立場もまったく違う存在、感じるものも全くちがうだろう。

 

でも、一瞬なりと茶道を経験したものにしか味わえない同じ感情があるのではと想像している。

 

 

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

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好日日記―季節のように生きる

好日日記―季節のように生きる

 

  

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