呪いの言葉と部下の育成について考えてみた
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
数日モヤモヤしていました。いやあ、ずっとモヤモヤしてたからブログを始めたのもあるような・・・ひとつ要因がわかったような気がする。
偉そうな文面もあったかもしれないが、大きな声で言おう!
私は自己肯定心が実に低い人間です!
学生時代の成績もぱっとしない、最終学歴もどっちつかず、北川景子のように美人でもなく、むしろ平らな顔族代表だし、やせ形の凹凸のない体型、フェロモンなど一切なし、だから?男性にモテない彼氏なし。
確実にオバサンと言われる年齢、さらにバツイチだから取りつく島もない。
この年になって、お金の管理能力もないし、整理整頓も掃除も苦手。。。いちいち言うだけで女子力が低いことも露呈してるかも。
おまけに尊敬する人はみうらじゅんだし、最近のマイブームは縄文と古代文明について考えることだ。茶道をたしなむがロックバンドをこよなく愛し、ライブの次の日は筋肉痛だ。
ん、もはや何の話?
ま、そんな私だが年齢的にリーダーのようなポジションについている。
はじめはたった10人程度だったけど、経験がないのでうまくいかないことも多かった。
それまで、もちろん一流企業に勤めたこともなく、主婦だったときの前職は事務派遣のために余計そういったノウハウは全くない人間で当たり前といえばそうなのかもしれない。
思ったとおりに動いてくれない部下に対して口調厳しく指導したことなどあり、反感を買って全員に総スカンを食ったことがあった。会議室で全員に詰め寄られて詰問されるという事態になった。
エンジニアが主力の会社のため、入社年数の短いわたしがたまたま上司になってしまったのを『前職が事務派遣のくせ』にとか、『入社年数も短い癖に偉そうに』という気持ちがあったらしいというのは後から知ったことではある。
どちらにせよ、リーダーとして強くあらねばと虚勢を張ってしまった挙句、中身のない厳しいだけの痛い指導方法を選択してしまったことに非があると感じた。
その反省からできるだけ平等に部下の話をよく聞いて問題解決をしていく姿勢を貫くことにした。
部下を引っ張るリーダーではなく、寄り添うリーダーであろうというのが私のスタンスになった。
それが正解かどうかは未だに分からないのだけど、部下とのコミュニケーションはうまく取れるようになったし、職場の雰囲気も徐々に良くなっていった。
部下を甘やかしているとか、ぬるいという人もいるとは想像する。いまのところ私としてはこの方法は最良だと向いていると思っている。
その理由は以下となる。
さて、一方で私の上司からの指導はどうであったのか。
良い表現をすれば、愛のある叱咤激励であった。
いや、実を言うと都合よくそう思い込んでいたんじゃないかと今さら気づいたのだ。
そして言っていた当人たちも、私を鼓舞するように親切心で言っていたのだと思う。
「所詮、事務派遣だからな」
「まだまだ事務派遣根性がぬけない」
「大企業で教育を受けてないから仕方ない」
飲みながら、真面目な席で何回言われたことだろう。
私は、ある時は真面目な顔で、ある時は笑いながら頷いていたと思う。
何しろそれは、叱咤激励だから。私のためを思って言ってくれているのだから。そう信じていた。
特に私くらいの世代までは、先生が生徒に、先輩が後輩に、上司が部下に、年長者が年少者に怒号を浴びせたり、頭ごなしにできないことを否定し厳しく接することが当たり前とされてきた。
実際、自分もそうされてきたからそれが当たり前と思っていた。。。
しかし、本人は気付かないけれどその度に自己否定が澱のように静かに溜まっていくのだ。
特に私の言われた言葉は私の経歴だ。それを否定されてしまっても取り戻し用のない過去。
改善のしようがないことは、深層心理に刻み付ける恐ろしい呪いの言葉だった。
なのに上司は、別の時には自信を持てとか言うのである。
どの口がいうのだろう。自己肯定心とか自信なんて植えつけられる筈ないじゃないか。
私はそれを自身で実感した。ついぞ今のいままで私は仕事に対する自己肯定心は上がらない。
人のせいにするのはいけないと良心の呵責を感じながらも叱咤激励を繰り返した彼らを思い出して怒りの感情だけが残っているのになぜか泣けてくるのだ。
一言だけでも、共感したり良いところを認めてくれたら逃げ場もあったのにと思ったりする。(こんなこと言うと人のせいにするなとか、甘えているとか言われちゃうんだよな・・・そう言われたこともあるよな。どうすりゃいいんだろうね。)
このような振り返りから、自分が部下に対してやっていた過去の行いが明らかな過ちであったことの具体的な証拠が揃ったような突きつけられた。
ただし、私は彼等の来歴を否定することはしていないのだけは言っておこう。
それでも今はあの時の自分を激しく反省し、当時の部下に対して心から懺悔をしている。
だって、何が彼等にとっての呪いの言葉になっているかは分からないんだもの。
そして、リーダーである人や後輩を教育する立場の人がこれを読んでいたらアドバイスしたいのです。
部下や後輩の仕事がうまくいっていなかったら、躓いていたら、叱らずに一緒に寄り添ってうまくいく方法を問題の要因から追及して考えて見てほしい。
経験上、要因は大抵は部下や後輩の問題ではない。そもそも仕事のしくみだったり職場環境だったりする場合が大半だ。
だから、まず始めは、悩んでいた部下や後輩が頑張っていたことは評価しよう。できたところまでを評価しよう。部下や後輩のいいところを見つけて褒めよう。
そうすることで、部下の落ち込んだ気持ちは持ち直して、次へとつながるモチベーションとなる。
しっかり考えてみれば、必ずいい場所はひとつやふたつはあるのだから。
(それができないのはしっかり部下を見ていないということだと思う)
そして、一緒に要因を分析してみよう。部下に書き出してもらったものを二人で確認してみるのもいいかもしれない。
次は対策と実践。サポートしながらも部下がいいと思った案を採用してみよう。
その問題が解決できた場合は二人やチームの結束は固くなるだろうし、部下がひとりで悩むようなことはなくなり、より仕事はうまくいくようになるだろう。
問題がうまく解決できなければ、もういちど要因を探りなおそう。失敗だったとしても、二人で試したことは無駄ではないことを振り返ろう。
気長に気長に部下と寄り添う。それが上役の仕事だと私は思う。
その繰り返しで、部下が危機感を感じた場合は自動的に部下は報告や相談をしてくるようにもなるから、未然にミスを防止できるようにもある。
気付いたろうか、最大の利点はリーダーや先輩であるあなた自身も仕事がスムーズにやりやすい環境が自然と作られてくるのだ。
特に女性のリーダーにこのやり方はおススメしたい。ただでさえ強い女性リーダーは部下や後輩の鼻についてしまうことは否めない。
また、強がるあまりに人に頼ることを苦手とする場合も多い。
強がるのはやめて、母のように、姉のように部下や後輩に接することで摩擦が発生しにくい環境が生まれる。(ちなみにセクハラと思われないように距離感も一定を保つこともポイント)
でも、あいつだけは嫌いだ!という意見もあると思うし、どうしてもうまくいかないのは私のせいだろうかと落ち込む人もいるかもしれない。
もちろん、私も人間なのですべての人を100%辛抱強く寄り添い正解に導くことができるとは絶対と言い切れない。事実、去って行った人間もいるんです。
相性が合わない場合もある。だから、そんな時は失敗に終わっても自分を責めることはしないでほしい。そこまで頑張った自分を褒めよう。
自分たちのできる範囲で、自分たちのできるペースで進めばいいのだから。
最後に、部下や後輩が育った時の喜びは何にも替えがたい幸せだよ。
そして、最もあなたを助けて自己肯定心をUPさせてくれるのは部下や後輩になるんだよ。
すべての人が、楽しく前向きに仕事ができることをこころから祈っています。
では、また。