清流無間断~せいりゅうにかんだんなし~
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
先日、Eテレの「趣味どきっ!」で「茶の湯 表千家」が始まりましたね。
ルンルン
せい
サブタイトルは、清流無間断
~せいりゅうにかんだんなし~
15代猶有斎千宗佐の家元継承にちなんで、途切れることなく千利休から時代の変化に合わせつつも受け継がれた茶の湯の道を表現している。
ナビゲートはお家元の猶有斎と木村宗匠。
優しいお人柄に癒されます~。
前回と前々回のナビゲーターの貫名宗匠の密かなファンである私はちと残念だけど、これも世代交代ですね。
表千家の特徴でしょう。Eテレのこのシリーズで他の流派は女性がお茶を点てるシーンがありますが、表千家は家元教授や家元で修業されている男性のみ。THE男社会!
(着物男子萌え・・・)
男女差別とか思う方もいるのかな~。これはこれで伝統を守っていて潔い。
そして、不審庵ゆかりのお茶室の内部や美しく手入れのされた路地など、貴重な映像を見ることができるので眼福~。
お道具もわび茶を継承しているだけあり、渋くて善きです。
茶道てどんなことやっているんだろう~と興味がある方はご覧になっていただきたいです。
木村宗匠と渡邉アナウンサーによるお稽古シーンが織り込まれていて、実際の雰囲気を掴めるように思いますね。
次回は私の好きな炭点前。ワクワク。
茶道文化に未来はあるのだろうか
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
表千家茶道の稽古に通い始めて7年目であることが判明。数えてなかっただけ・・・
昨年から同門会という表千家公式の会員になったので、年1回の総会と(当選すれば)年末の茶会に参加している。
感想
高齢すぎる・・・(爆)
平均・・・いくつなんだろう70歳代?
総会は平日開催なので、若い人はなかなか参加できないのかもしれない。けれど、大寄せの茶会にも7割はどうみても60歳オーバーだよなあ。
20年後どうなることやら、全滅危惧種指定されるのではないかと不安がよぎる。
今年の東京支部の総会では当代の樂吉左衛門さんが講演をされたのだけど、会場を見まわして
「こんなにも素晴らしいのに、若い人たちが茶道をしないのは、何か大きな問題があるのでしょう」
と、仰っていた。
おそらくは氏の中には答えはあるのだと思う。
潜在的に茶道に触れてみたい若者はいるのではないかと想像する。
いくつか私の感じた問題点を挙げよう。
まず、いかんせん入口がみつからないのだ。
これ、私の体験談。7年前はインターネット検索しても、自分にマッチするような教室が見つからない・・・いや、分からないのだ。
最近はインターネットで発信する方も増えつつあるが、カルチャースクールのような手広く教室を営んでいる場所が多く、茶道専門の教室も私個人の感想ですよ、イケテるハイソな方々が通いそう(死語?)で気が引ける。
自宅の近所などで探すとなかなか見つからないのが現状だ。
そしたら大本の本部に問い合わせてみるか!
それぞれの流派の本部で紹介をしているが表千家不審庵は窓口が電話・・・
意図があるのかもしれないけれど、平日の日中帯のみの受付とはお仕事している若者にはちょっとハードル高いよ。
地域別や稽古の時間別などデータベース化とか、メール受付とか工夫が必要だよぉ。
気の迷いで比較してみましたが・・・
裏千家今日庵さんはIT化進んでて問合せしやすいですね。メール受付もやってらっしゃる。さすがです。
次に、流派がいろいろあって違いがわからない
実際のところ、どの流派ではじめてもそこが自分にとっての基本になるので特段困ることや失敗はないというのが私の考え。
これは経験者じゃないと分からないところで、初心者が逡巡してしまうポイント。
この戦国武将が好き!とかあれば、つながりのある茶人の流派を探してみてもいいかもしれない。
私個人の趣味としては織田信長が好きな戦国武将だ。理由は書ききれないので見送るが、所縁の深い千利休の本流である表千家の流れにいるのは私の密やかな萌えポイントである。
あと、一番大きなハードルだが、
料金制度が分からないし、お免状とか和のお稽古特有の『あれ』が恐い!
事実、流派によっても、稽古場によってもお月謝とか経費が違うらしい。
私も自分の稽古場意外の詳細を知らない。
私の場合はお月謝、社中の会費、お中元とお歳暮、ご年始、お茶会諸々で年間大体20万円ほど用意があれば困ることはない。
あと、別途タイミングによりレベルアップするため、特有の『あれ』・・・お免状代もある。
これは任意の稽古場もあれば、先生の強制もあるらしい。
あれシリーズは他にもあり、先生にお弁当やフルーツを用意する、稽古で使うお菓子やお花など別途支払う、テキスト代がある、ふくさを毎年指定のものに買い替える・・・様々聞く。
あと、驚愕な話として聞いたのは着物。呉服屋さんと結び付いて買わせる稽古場もあるとか( ゚ε゚;)
そこまで行くと鼻白む・・・そんなとこあまり無いと思いたい。
お免状も先生に対するお礼のお金があって、それがどうやら違うらしい。お免状と同額を納めるのが多いそうだが、3倍以上求める先生もあるとか。
体験教室でしっかり費用は確認した方が良い。
「私のお給料で支払えるか検討したいので教えてください!」とハッキリ確認すべし。お金のことって聞きにくいけど始めだからこそ恥はかきすてよう。
(もごつくようならそこは辞めた方が良い)
言い方が悪いかもだけど、稽古場は庶民レベルとセレブレベルがある。
自分とは合わなかったという体験談も聞いた。事前の確認が絶対必要。
不思議なことに、どちらでも基本は同じことを学ぶし、料金で善し悪しは決まらない。
だけど、一番重要なのは先生との相性なのだ。相性が良い先生だと不思議と費用も自分に合ったものになると思う。
でもさ・・・もっと明朗会計にならないと若者には時代遅れの意味不明な世界だよね。
茶道界の人達に言っとくけど、これが現代のお稽古ごとの普通ではなくなってるんだよ。
そしてなんといっても、まだまだ魅力が伝わってない!
一般的な茶道のイメージって、静静とお菓子食べて、お茶点てて、お茶飲んで、結構なお点前でと言う、お嬢様や奥様の嗜みというイメージ。
なんか素敵なインスタ映えしそうな、清楚な華やかな女性の世界なのでは。
とか(想像)
ちがいます(真顔)
※一部そういうところもあるけどそれだけじゃないです
実際、お稽古が始まるとまったく違う世界だと、正直びっくりすることが多かった。
元々は僧侶が茶を薬として持ち込み、点前として貴族社会から武家社会に広まった茶の湯。
千利休をはじめ、茶人の知恵であらゆる芸術や創作が随所に組み込まれた。
堅苦しい部分もなきにしもあらずだが、物質と精神が結び付いた骨の髄まで興味深い”道”。
一言で言い尽くせない楽しさと学びがここにはある。
表千家はお家元も代替わりしたことだし、SNSで発信とかしてほしいな・・・ボソッ
宗匠方の情報なんかもあってもいいと思うんだけど・・・ボソッ
こんなことばっか書いてそろそろ怒られるかな・・・ボソッ
結論としては20年後ヤバイ
はい。他力本願(本来の意味とは違うけど)ではいかんので(汗)
私がこよなく愛する茶の湯、茶道の魅力を伝えるべく、
ひとり茶の湯推進委員会を発足します!
ぼちぼちアップしますので、窓辺の喫茶へお寄りくださいまし。
慢性鼻炎と鼻水と私
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
あまりキレイな話でないので、苦手な方はスルーくださいませ。思い出話です。
最近は秋の花粉が跳んでいるのかな。突発的にくしゃみと鼻水が止まらない日がありますね。
今から30年以上前なので、アレルギーとか花粉症が一般的ではなかった時代。
我々姉妹は『慢性鼻炎』というで年中鼻水と鼻づまりに苦しんでました。
就寝時に鼻が詰まって苦しいのでヴックス・ヴェポラップの軟膏を塗るとスゥッとして楽になった。青いプラスチックの容器とエメラルドグリーンの蓋、ベトベトするけど素敵な相棒。
週一回は、母と妹とバスに乗って街にある耳鼻咽喉科に通って鼻の中に蒸気を送り込む機械と対峙していた。
先生が手荒に鼻水を吸う機械できれいにしたあと別のスペースに移動。鼻に二股に分かれた透明の吸入気を差し込み、ひとつ空いている穴を指で押さえると温かい蒸気が送り込まれる。
患部に蒸気を当てるために鼻にぐっと差し込むのでさながら豚鼻製造器だ。口は半開きにして蒸気をながす。唾液が口内にたまってしまうので定期的に息を止めてごくりと飲み込む。
何故か鏡が前にあって、不本意ながら変顔をしている自分が写る。
果たしてこの儀式に何の効果が合ったかは未だに不明だ。
鼻の穴が上を向いたのはこの影響かと考えたこともあるが、妹は綺麗な鼻なので違うのだろう。
特に薬を処方されて飲んでた記憶が無いので、症状を治すとか押さえるみたいな医療は田舎町にはまだ無かったのかもしれない。
鼻水や鼻づまりは突如来訪する。いつだって予告はない。
今は花粉のシーズンとか季節の変わり目とか、ホコリの起きやすい朝とか、予測がつくのだけど当時はどのタイミングで発生するのか分からなかった。
訪れやすいのが、何故か静かな授業中。鼻の奥からムズムズしだして鼻水が滴ってくる。
テッシュを鼻に当てるものの、鼻をかんでスッキリなんてことは恥ずかしくて出来なかったのでひたすら水分を除去する作業に徹する。
不幸なのはポケットテッシュを忘れたか、残り少ない時。どうやって乗りきるか頭をフル回転させるも、吸い込むか手で拭うくらいの解決策しかなく、
早く授業よ、どうか終わってくれ
と45分ひたすら切実に祈り唱えるしかなかった。
知恵があれば先生に申告してポケットテッシュではなくて、ボックステッシュを常備できないか交渉したろう。当時はみんなとは違って鼻水で苦しんでいるのは恥ずかしいしから絶対秘匿時事項だった。
頻繁に鼻水事件が起きるのにテッシュをたくさん用意してない私も学習能力低いな~(汗)
ふっと記憶が戻ってきたのだが、クラスの中に私と同じような症状の男の子H君がいた。
ひょろりとしたやせ形の姿で、小学生低学年ながら、すでにくたびれた中年サラリーマンのような空気を醸し出して、一日中鼻をかんだり、袖で拭ったりしている光景があった。
あまり前に出ていくタイプでも、モテルタイプでもなかったように思う。袖がカビガビしてそうだから、むしろ女子にはモテなかったのかもしれない。
私は特に会話をした記憶はない。
あの頃、どの男子児童とも仲良くした記憶が無いから彼と特別に距離を置いていたわけでもない。
今にして思えば、慢性鼻炎トークができる仲間ではなかったかと残念でならない。貴重な共感ベースを築ける仲間だったはず。
大人になって世の中は様変わりした。
花粉症が国民病と言われ、鼻をかむ行為が恥ずかしい人だと思われなくなった(と勝手に思っている)
職場の隣に座るM君はオフィス全体に拡がる轟音で鼻をかむ。鼻が壊れないことに感心してしまう。
同い年のK氏は未だに怖くて鼻をかめないそうで、垂れてきたら拭くのを頻繁に繰り返すためゴミ箱はテッシュで一杯だった。
マスクをすることも普通になったのは昔には無かったと思う。鼻をかみすぎて赤くなるシーズンは大助かりだ。
しかし、私は未だにティッシュを忘れて出掛けてしまうことがしばしば。マスクの中がズルズル・・・身動きの取れない満員電車で、
早く駅に着いてくれ!
と祈っている。三つ子の魂百までって言うけど、自分にいい加減学習しなさいって思う。
しかし、付き合いが長くなりすぎて熟年夫婦の域を越えていて、辛く感じることないなぁ~と感慨深くなる。
花粉症は問題だけど、暮らしやすくなったなと子供の頃を振り返るのだった。
はじめまして。このブログについてと自己紹介。
はじめまして。窓辺の亭主、ミワコと申します。
本ブログにお越しくださりありがとうございます。
タイトルから何も読み取れないため、このブログと私のことを紹介したいと思います。
お付き合いいただければ幸いです。
タイトルについて
2018年9月からこのブログ『窓辺の喫茶』を開始しました。
基本的に雑記ブログでありつつも、あやふやなコンセプトで開始しました。
タイトルは子供の頃に従姉妹とおままごと遊びで開店した喫茶店の名前。
珍妙な名前がなぜか頭に残っていました。
なんとなく、このブログのタイトルとリンクした漢詩があります。
寒夜 杜秉(南宋)
寒夜客来茶当酒 寒夜客来たりて 茶を酒に当つ
竹爐湯沸火初紅 竹爐 湯は沸きて 火初めて紅なり
尋常一様窓前月 尋常一様 窓前の月
纔有梅花便上同 わずかに梅花有りて便すなはち同じからず
(ミワコ意訳)
凍てつくような寒い夜に客人が来た。
普通なら酒をだすところだが、わざわざこの寒さに出かけて来くるのだから真面目な相談だろう。
冷静に話してもらうために、酒ではなくて温かく香りの良い茶を出そう。
箱火鉢に掛けた釜が湯気を立てたころ、ようやく炭に赤々と火がついた。
窓辺から見える白く輝く月はいつもと変わりない。
茶を点てながら客人と語らい、そのうちに問題解決の糸口もみつかったため緊張した空気も緩んだ。
ふと窓の外を見たら、梅の花がわずかにほころんでいることに気が付いたのだった。
※典拠とか関係なく意訳ですから専門家の先生お許しください。
南宋の時代(1127~1279)の茶は日本の抹茶に近い飲み方がされていたそうです。
裕福な庶民にも茶が浸透してきた時代でもあり、酒と同等、客にもてなすものとして供されたのでしょう。
茶室も持っていない、茶道修業中の私です。
窓の月や景色を眺めながら、茶を点てて語らうような、肩の力を入れすぎない文章を書いていきたいと思います。
茶道のこと
2012年から表千家茶道の稽古を始めました。
30歳代なかばなので、早い開始ではないのですから、まだまだひよっこ。
続けると素晴らしい日本文化であることを認識します。そして、奥が深すぎて、深い沼に嵌ります。
それなのに茶道人口が減少。この文化の継承をしていく必要性を感じています。
今まで茶道は知っているけれど触れたことが無い人たちに、特に若い人たちへ、間口を広げるのがこのブログのテーマの一つです。
将来は茶人になりたいなあ~という、茶人の定義を聞かれると困る夢を持っています。
関連して、大好きな着物やアートのことも書いていきますね。
HSS型HSPについて
始めて耳にしたでしょうか?
聞いた方もいるでしょうか?
私は30歳代まで、この気質のため(とは知らなかったのですが)生きづらいなあと思って過ごしていました。
HSPとは ”Highly Sensitive Person”の略で、「敏感で繊細な人」という意味。世界中に大抵は5人に1人はいる性格、気質の人のことです。色々なことを敏感に受け止めてしまって、生きづらいらしいのです。
※らしいというのは他者になったことが無いので比較がしようなくて、正直分からないんです。ネット上のHSPテスト等試してください。私は高得点でした。自分で敏感で繊細っていうのも気恥ずかしいですね。
特に子供の頃は、誰にも受け入れてもらえて無いように思い、毎日生きるのが辛かったです。
大人になってからも、ひとつの失敗で死にたくなるくらい深刻に受け止めるようなところごありました。
その中でも、HSS型という気質を併せ持っている人がいます。
HSSとは”Highly Sensation Seeking”の略で、「刺激を求める人」という意味で、HSPとは真逆の気質のように思えるのですが・・・共存しています。
ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるとも形容される性質。
これがまた厄介(笑)
このタイプの人間(私)は繊細な気質を巧妙に隠しながら行動的に見えるように生きているため、外見の中身のギャップに苦しめられます。
一見、心が強そうに見えるのか結構ぞんざいに扱われたりする傾向にありました。
でも、この気質の人たちは、この気質であるがゆえに試行錯誤しながら生きて、独特の発想力がある、察する能力が鋭いのです。
この気質であることを知ってから、辛かった要因が見えることで対処法もあり、私はずいぶんと楽になりました。
共感できる人が気付いてくれたらいいな、励みになったらいいな、そんな意味で思ったことを書いていきます。
音楽のこと、フジファブリックのこと
音楽が好きです。
でも、技術的なこととか詳しいことは分かりません(真顔)
ただ好きです。
なかでもフジファブリックが好きなので、ライブに行った記録を書きます。
また、好きな音楽を聞いた嬉しさを綴ります。
今さらながら、詰まるところは”はっぴいえんど”、特に細野晴臣さん、その周辺のミュージシャンや楽曲が好きなんだなと分かってきました。
これは、HSS型の気質なんですかね。
HSPのため行くまではめちゃくちゃ緊張するのだけど、ライブで大音量を受けて会場全体の多幸感のなかノリノリになって楽しむのが好きです。
完全自己満足な記事です。
亭主ミワコについて
自己紹介をします。
出身は北関東の秘境と呼ばれている県で、中途半端な田舎です。
子供のころは転勤族の父について家族で関東近郊を転々をしていました。
親せきも各地に点在しているので、定住とか土地に執着する感覚が少ないかもしれない。遊牧民的な感覚?
性別は女性。年齢はアラフォー。
バツいち未婚。悠々自適な一人暮らしです。
2019年1月現在、会社員をしています。
以前はHSS型HSPにありがちなワーカーホリックでしたが、自分だけ頑張っても空回りすることに気づいてセーブして仕事してます。
でも、HSS型HSPは会社員や、決められたルーティン作業が向いてないです。
幸いに企画職に異動になって良かったなぁと思っています。
すごく多忙なのにもかかわらず、肩の力を抜いて人生を豊かに暮らす姿に惚れ惚れします。そのエッセンスを僅かなりと学びたいです。
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございます。
自分でルールを決めても達成できない気質なので、気ままに書いていこうと思います。
仕事以外ダメ人間なことが同僚にバレて、よく見抜いたと関心しています(笑)偉そうに色々書いてもそんな人間です。
別のブログもやっていたのですが、恰好つけすぎて理想の人間になろうとして疲れてしまったので、気張らずに行きたいです。
これからも本ブログをよろしくお願いいたします。