平常心是道~ビジネスマンこそ茶の湯を~
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
月に3回稽古場に通っている。
今年で7年目となるけれど、この世界ではまだまだヒヨッコ。
さて、茶道を体験したことがない友人には未知の世界らしいので、いったいお稽古(表千家)とはなにをするのかを説明してみよう。
まず、通常の稽古は割り稽古と呼ばれるもので、大きく分けると薄茶・濃茶・炭の点前のいずれかを行う。
何のために稽古を行っているかというと、『茶事』を催すのための鍛錬。茶事とは自らの茶室に客を招き、懐石に始まり濃茶、薄茶を4時間(二刻)の間にもてなす、今で言えばホームパーティ(?)のことだ。
そのため、茶の道を本気で進む人は別途、懐石料理や和菓子、書道、茶花、茶庭の手入れなどの勉強も励んでいる。
まず入門したら、基本である薄茶の「運び」と呼ばれる点前をできるように、さらに細分化して稽古をつけてもらう。師匠は弟子に合わせて稽古をつけるので、心配することはない。一連の動きは不思議と次第に体に染みついていくもの。気が付くと茶室に入り茶を点てて、道具をしまい退出するまでの動きができるようになっている。
また、茶を点てる亭主の稽古のほかに、茶をいただく客の稽古もある。席への入り方、菓子のいただきかた、茶の飲み方の動きもそれぞれルールがある。難しく考えることはなく、円滑に気持ちよく茶を愉しむためのものだ。
はじめは、なぜこのような動きをするのかと疑問が多いが、覚えていくうちに意外と合理的で美しい動作であることが分かってくる。それにともない、どのように体を動かせはより自然で流れるような点前になるのかが分かってくるし、そのように師匠も稽古をつけてくれるようになる。
点前が体に染みついてくると、体中に神経を張り巡らしつつも、無心で茶を点てるようになる。動作の順番を考えずに、呼吸が整い、無駄のない動作で美味しいお茶を点てることに集中する。
亭主と客の呼吸も合うと、ひとつの完成された空間になる。
優しい外光が降り注ぐ茶室。茶釜の蕭蕭という音、柄杓から立ち上る湯気、抹茶と湯を入れた茶碗に茶筅を振ると、茶の青くかぐわしい香りがほんのり漂う。五感が研ぎ澄まされていくのを感じる。
最近、マイドフルネス(瞑想)が臨床心理学や精神医学の世界で効果がみられるということで注目されているが、それに近い効果が茶道にはあるように思っている。
稽古が終わると、日々のストレスやそれの発生要因となった出来事が頭の中でリセットされて心が穏やかになるのを感じる。
特に、毎日上司や部下、客からの過度なプレッシャーに晒されるビジネスマンに私はお勧めしたい。
現在は女性の茶道が盛んだが、もともとは男性が嗜んだ趣味だった。
戦国武将も茶人に弟子入りした者がたくさんいた。道具の価値やコレクター的な部分が取り沙汰されることが多いが、実のところ戦や家中での権力闘争、親族内でのいざこざと隣り合わせの毎日から、茶室に入った瞬間だけは忘れてリラックスすることができるからだったのだろう。特に、狭くわざと地味に見えるように作り、光の入らない利休の好んだ茶室はより集中力が高まり、マインドフルネスの効果が強いように思ってしまう。
茶の湯を嗜み始めてから、点前ができてリラックス時間が取れるようになっただけではないように私は思っている。
大きくこう変わった!と叫べるものは何もないのだけれど、この7年間で丁寧に生きること、自分の人生への心持がゆっくりと変化していった。
茶を点てることで、自然と自分自身と向き合うことができている。
平常心是道~びょうじょうしんこれどう~
わが師は節目節目に、この軸を好んで掛ける。
そのまま訳すと「常日頃の心構えが道である」という意味。修行しているとき、特別なときだけが悟りのへの道ではないのだ。
この道は本来は仏道であるが、茶道として置き換えると、茶の道は日常とも繋がっているというように読める。
禅宗の教えにも「生活禅」という考え方がある。ごはんを食べる、掃除をする、風呂に入る、排せつするときまで、生きて活動しているすべての時間と行っていることが修行ということ。
怒ったり、落ち込んだりなど心が乱れたとき、呼吸が乱れて点前も乱れる。心なしか焦っているときはテンポが早まり、せわしない点前になる。自分の精神状態があからさまに見える。師匠の注意ではたと気づく。
そんな時は自分と向き合い、目を閉じて呼吸を戻そう。
最後は甘い菓子と苦い茶で心のしこりを流してしまおう。
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