下町ロケットがうける理由
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
金曜の夜に何かの流れで、
「もう宇宙とかじゃなくて、これからは第一次産業だよ!」
とか宣ってたら、今回の下町ロケットはややそういった方向性でちょっと恥ずかしい。
前作は観てなくても楽しめるのだなぁと、ダイジェスト観てました(笑)
大企業に勤めてる人間など比率として少ないから、大企業vs中小企業って構図は共感ベースで見てしまう。
クセの強い俳優さん芸人さん揃えて、あそこまであからさまかって思うかもだけれど、強ち誇張してないよねって思った。
案外、現実ってあんなもんすよ。
分かりやすい構図は感情が入りやすい。視聴率上がるよね。
佃製作所がんばれーと単純に応援したくなる(笑)
にしても悪役の皆さん、神田正輝やピーター等々も面白すぎるよね。やらしいけれど、まだ見たいと思わせるのが腕の見せ所なんでしょう。
そして、尾上菊之助さん素敵ですね~(〃´ω`〃)
正統派プリンス感が溢れんばかりで、社員想いのあんな社長だったら付いて行きたいわと思う。(もちろん、阿倍社長も暑くて素敵だわよ)
この方、歌舞伎でも素晴らしいのです。女形美しいし、何より芸達者。
これから注目が集まると嬉しいな。
何故着物が好きなのか
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
完全に体調を崩していました。ライブから電池が切れたのかヘロヘロしております。おまけに風邪を引いてドロドロ。
なかなか治らないのは歳のせいにしたくないけど・・・
今日は山総の誕生日だ!おまけに満月だ!めでたいぜ!
いぇーい!
テンションあげて行きましょう!
着物が好きで着ていることが多いので、専ら不思議そうな目で見られるのだけれど、何故こうも好きなのかとなれ初めを思い出してみた。
思い返せば、幼稚園生くらいから雛人形のチラシを毎年確認するのが好きな子供で、色合わせのトレンドを具に観察していた記憶がある。見ているだけで、衣装の素敵さにワクワクしたり、人形の表情とか木目込人形は愛らしいし飽きないものだった。
雛人形は宮廷衣装で、現代に着られているものとは少し様式が違う。だけれど美しさに目を奪われていたのが一番始めのように思う。
大河ドラマとか時代劇も好き。素敵だなぁと観ていた。
高校時代から大学生時代は歌舞伎にはまり、お小遣いを貯めては通っていた。もちろん着物も美しくて『本物』にはうっとりしたのだった。
実際袖を通したのは七五三、七歳の時に従姉妹のお下がりで紫色の着物を着たのを覚えている。当時、小学生で虱が流行っていて髪の毛を伸ばせず、ショートカットなのが自分としてはダサすぎて無念の思いをしたのだった(笑)
次は成人式。
朱色の振り袖を近所の母親御用達美容室で着せて貰ったが、何となくイマイチ。
髪型は何故か七五三の子供のようにされて、口紅はシャネルの小豆色でクサイヤツ(笑)
結構絶望的な気分だった。
グチグチとした思い出だが、今さら考えればこう言った行事は両親が子供にお金をかけてしてあげたいことだから、正直本人の意向なんてどうでも良いのだ。
でも、何故か私には着物姿に対する理想みたいなものが既に出来上がっていたみたいなのがちょっと不思議なものだ。
洋服に興味がなかったわけでもない。
『non・no』を買って、可愛い洋服を夢見て研究した時期もあったし、ファストファッションもなかった時代は背伸びして、高価な洋服を買っていた。
でも、自分おしゃれだなぁーって思ったことは一度もない。
回りの女子大生はキラキラと髪型から足の先まで隙のないファッションに身を包んで眩しかった。
女は服よ!
と、突如としていい放った同級生にはビックリしたが、彼女はいつもお洒落だった。
150センチ小柄なのに顔は小さくもなく彫りも深くない『平たい顔属』だし、手足も細くもなく長くもなく、そして寸胴体型、誰が見てもメイドインジャパン以外考えられない姿形。
自分は何を着ても田舎臭さが抜けないなぁ~なんて自己否定感たっぷりだった。
さらに恐ろしいことに洋服は毎年流行があって、それなのに着せ替え人形のようにとっかえひっかえ洋服が替わる毎日お洒落な女子大生には舌を巻くばかりだった。
僅か20年にも満たない人生であんなにも女子力を磨けることと、流行に乗れる技があることに彼女たちと自分とは格差がありすぎて絶望すら感じたのだった。
そして、洋服にひとつの見切りをつけた事件。
社会人になってから観た映画『プラダを着た悪魔』
ジャーナリストを目指すひとりの冴えない女の子がキャリアウーマンの道をみつけて行くシンデレラストーリーで、今でも大好きな物語。
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このシーンに私は衝撃を受けた。
雑誌に載せるコーディネートの会議。
似たような2本のベルトをあーでもない、こーでもないと悩む編集長やスタッフの姿。それを端で見て「こんなものに」と失笑した主人公のアン・ハサウェイ演じる新人アシスタント。
彼女に向かって鬼編集長のメリル・ストリープが放ったセリフ。
家のクローゼットから、その冴えない”ブルーのセーター”を選んだ。
”私は着るものなんか氣にしない。マジメな人間”ということね。
でも、その色はブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもないセルリアンよ。
知らないでしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレを、サン・ローランがミリタリージャケットを発表。
セルリアンは8つのコレクションに登場、たちまちブームになり、
全米のデパートや安いカジュアル服の店でも販売され、
あなたがセールで購入した。そのブルーは巨大市場と無数の労働の象徴よ。
でも、とても皮肉ね。
ファッションと無関係と思ったセーターは、
そもそもここにいる私たちが選んだのよ。
”こんなの”の山からね。
な、なんと私が頭を悩ませて着る洋服たちは、異世界のコレクションで遥か数年前に誰かに評価された色やデザイン・・・そして私が着る量産品は最先端でもなんでもなくて、最終到達地点の工業製品なんだ・・・
どんなに素敵でも、どんなにダサくでも。
何に私は追われていたんだ。すべてが馬鹿馬鹿しくないだろうか。
開けた口が塞がらなかった(笑)
それからの好みは、シンプルやナチュラルなあまり流行の幅がちいさそうな路線変更したのだった。
しかし、難点としては清潔感もあるし可愛らしさもあるけれど、女性らしさや美しさにとは少し隔絶される装いかも知れない。
そこで再び私の眼前に現れたのが着物だった。
ある日、美容師である友人が着付けを習ったので教えてくれるという。今考えれば驚きなのだが無料で2回ほど教えてくれた。
長襦袢と長着を着ることは大体マスター。半幅帯をなんと結べて外出はできる程度に出来た。
お太鼓に帯を結ぶことは、和裁教室で知り合った友人に『前結び』を習いマスター。これもご厚意で教えてもらえた。
二人とも大恩人だ。
そして、着物は自分で着付けると本当に着やすいし、何より自分が何十倍も素敵に見えたのだった!
純国産型の私にとって、寸胴であることや平らな顔が着物にしっくりくる。
足が短かろうが着物はものともしないのだ。
さらに、着物は洋服ほどの流行の変動が激しくないから、友人から譲り請けた30年前の着物や帯も古びた感じが一切ない。色がちょっと派手でも、小物の取り合わせ次第で表情も変わる!
着物雑誌だって、10年くらい前では全くジェネレーションギャップを感じることはない。
流行に追われて齷齪することもなく、自分の好みで自由に楽しめることが魅力だった。
そして、着物は高いと言われるけれど、年老いても着ることができそうな色柄ならば本当に一生ものと考えるとどうだろう。
私も求めていた『着るもの』として一番しっくりくる!
元々絵を描くことや色や柄、生地に関して興味があり大好きなので、少しのルールを除けば束縛の少なく、絵を描くように色を自由自在にコーディネートできる着物は私にとってパラダイスだった。
ちょっと、着物を見る目が変わりませんか?
~HSPの日々~ちょっとしたことで感動する
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
HSP(Highly Sensitive Person)は感動しやすい、涙もろい性質を持っている人が多いそうです。
私は毎朝、朝の連続テレビ小説を視てから出勤するのだけど、前回の『半分青い』最終週はやばかった。
毎日ひと泣きしてから、家を出る(笑)
「スズメ、私の分も生きろ!」
という最期のメッセージにはやられてしまった・・・
人前では泣くことは恥ずかしいので少ないのだけれど、テレビや映画で感動して涙がでることはしばしば。
5年前、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を同世代女性4人で観に行って、4人で号泣したことがあった。全員、HSPの性質を持っているから共感できたのかもしれない。
まだ観たことが無いHSPの人にはお勧めなの作品。
自由にやりたいことをやりたいけれど、いつもうまく生きられないHSPとかぐや姫がリンクするのだ。
当時の慣習や身分に縛られて、お姫様になりお屋敷のなかで静かに過ごすことを強要される。美しさの評判を聞いて求婚者がたくさん現れて結婚を進められる。
彼女は結婚など望んでいない。美しい自然を感じて生きたかった。表現したかった。
でも、彼女の気持ちは価値観の違う人間たちには全く通じない。
大地に根差して、大空に手を拡げて、笑って泣いて、感情豊かに生きるために生まれてきたのに!
日々仕事をしながらうまくいかない。
偉そうにしている男性たちの権威に屈しそうになる。
それでも、自分を表現して笑いたい。
そんな感情が4人の間で共鳴して涙が止まらなかった。
絵本や劇画が動いたような粗削りのタッチや、時代考証を重ねて作り上げた世界観も興味深いところが随所にある。
特にかぐや姫が月に還るときの映像とメロディはいまだに思い出すだけで鳥肌が立つ傑作。
二階堂和美さんの主題歌も心にじんわり染み渡り、心が温かくなるような、懐かしくも切なくなるような曲だ。
また観て泣いちゃおうかな。
き
築地本願寺×謎解き脱出ゲーム
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
数日おサボりしてました。急激に寒くなって体がついていかないのかしら?
豊洲へ場内市場移転後すぐの10月13日に築地本願寺で開催された謎解き脱出ゲーム『狙われた築地本願寺の謎を解け!』に参加してきた(゚∀゚ )
脱出ゲームって最近流行りなんですな。他の脱出ゲームに参加経験のある参加者多数でビックリしやした。
クイズをひとつづつ解いてポイントを通過して最終的な謎に迫り、成功したらクリアというゲームが、バーチャルではなく現実に設けられた場で行われるイベントと言ったら良いでしょうか。
ひとりで参加するのも良いけれど、友達と謎を解きながら進んでいくのも楽しい。
それぞれの得意分野で解けるように、色んなパターンのクイズが仕掛けられているだな。
だからこそ、友達やカップルのコミュニケーションツールとして人気が高まっているのも納得。
築地本願寺の和と洋そしてガンダーラ様式の混在した建物のなかにパイプオルガンの音色が響くという、異世界の入り口のような空間で事件が起きるという設定はワクワクするではないか。
結果、どうだったのか?
残念ながら脱出失敗(笑)
初心者にはなかなかに難しいクイズだったので、また出直したい気分~。
何より興味深かったのは、大寺院が若者中心で新しい取り組みをしていること。
全く仏教に関心がなくとも『謎解き坊主』の導きで寺院のなかでイベントに参加することで、少し身近に感じることができる。
写経や座禅、法話なども最近は女性を中心に関心を集めている。
けれど、抵抗感がある人は多いわけで全く違うアプローチも間口を拡げて良いんでないかいと思った。
お寺に遊びに行こう!
そんな合言葉があっても面白いよね。
ま、我々女子二人組はその後、日本酒と新鮮なお魚で仏教談義で盛り上がったのは言うまでもない。
ハナレフジ ツアー宝船~僕らはすでに持ちあわせている~
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
昨日は仕事そっちのけでハナレフジのライブに乗船してきました。
東京2daysの初日参加です。2日間参加したファンの方々が羨ましいよおお
号泣!!!
フジファブリック3人とドラマーBOBOちゃん、そしてハナレフジ永積タカシさんのこなれた新人バンド『ハナレフジ』!!!
ツアーの名前も『宝船』
確かにすでに持ち合わせている面々!!!
2時間半、体バキバキ、腰が砕けるほどノリノリで楽しみました。
砕けた・・・本日腰痛
新曲あり、ハナレグミあり、フジファブリックあり、即興弾き語りのくるりカバーあり。鼻血が出なかったのが奇跡であります。
個人的にはライブで聴きたかった『ホーランド・ロップ』やってくれて最高に幸せ。
フジファブリック山内氏が犬猫アレルギーで動物が飼えないんだけれど、ウサギならいけるかなあ可愛いなあという内容の曲をやってくれたのは感動。(シングル「ブルー」のカップリング)
HO・HO ホーランド・ロップ 垂れてる耳
大空を羽ばたきそう
仕事で辛かったとき、めちゃくちゃコミカルなのにこの歌詞で励まされたことがあり、密かに特別な曲。
私も犬猫アレルギーなので、痒くなるよね・・・大共感(笑)
まだ大阪と福岡あるし、ネタバレになるから他の内容は割愛しますが、総君は永積さんとの活動でさらに歌声の幅が拡がったよう。
そして即興コーナーなのに、楽器と歌声、息ピッタリのハーモニーに震えました。
このメンバーだからこそできるんだろうなあ。
仙台ではダメダメだったらしいMCも珍しくいい感じにキレキレだった。
「それが自由なんですか?」
好き勝手に喋る永積さんに発した一言は哲学的でした。
永積さんのラップ、ダンスミュージックに会場全体ノリノリ!
新婚いじられのチャン大先生も仕切りだすし、楽器弾くのを放棄したかとをさんは変なメガネかけても相変わらずカッコいい。
途中失踪のBOBOさん、10月10日ドラムの日のドラマー飲み会は行かないで2日目に控える!
なんだか本日2日目の航海もトラブルがあって楽しかったようだ。
なにが「開きっぱなし」だったのか気になって今夜は眠れない。
宝船4日目の東京2日目が終了しました‼︎
— 山内総一郎 (@ff_souichiro) 2018年10月11日
ライブ中、僕は開きっぱなしでした。
何が開いていたかは🙅♂️です。
みなさま、ありがとうございました‼︎
残すは福岡と大阪、会場でお待ちしております‼︎
夢番地の倉野さんに頂いた宝船暖簾の前で。 pic.twitter.com/F5gJPhxtZd
~HSPの日々~個性とはなんぞや~
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
私が子供の頃は『個性』という言葉が、特に乱暴に使われた時代な気がする。
小学校の授業で創作ダンスなる課題が出たことがある。
殆ど授業の記憶なんて無いが、鮮明に覚えているくらい衝撃的なことだった。
まだ日本でダンスなんてあまり一般的でもなく、教師も生徒もダンスの素養すらない。専門的な指導なんてされた覚えもない。
どうやら当時流行っていた『個性を出させる』とか『創造性を養う』なんて考えに基づいた安直なプログラムだったようだ。
今思えばおそろしく滑稽な無茶ぶりなのだけど、自分で考えた振り付けを全員の目に晒すなんて私にとってはただの拷問でしかなかった。
さて・・・実際どうしたのかのか記憶が残念なことにぷっつり消えている。それくらいトラウマなんだと思う(笑)
未だにたまに振り付けを覚えていないダンスを披露しなければいけなくなり焦るという夢を見るのだから呆れたものだ。
そう思えば、学校教育ではまだ体罰など残っている時代だから、先生の考えるルールに合わなければ並べて怒鳴られ、殴られるなんて光景もみました。(基本、目立たずに生活していたので槍玉に上がることは無い私)
家庭に帰れば門限も厳しく、世間一般を気にする父親と、狭い自分の世界の考えだけで生きていて、「うちはうち、よそはよそ」という母親。
流行りのテレビゲームは買って貰えなかったし、父親は音楽番組嫌いだったので、専ら野球中継。小学校時代は、お笑い番組は見れたけれど、世間一般小学校の情報から若干離れた生活。
アイドルも俳優も知らない。
大人気の光GENJIのかーくんがあの人かくらいしか知らなかった。知らないというのも恥ずかしくて言えなかったけど・・・
だから、運動会で光GENJIの曲に合わせて踊らされたが当然困惑だった(笑)
さらに、喋るスピードも鈍いから自分はみんなの会話にもついていけないくらい劣っているのに、学校はルールを厳守しつつも『個性を出せ』教を布教する。
逆に家庭では『常識』とか『世間の目』みたいなものを意識させられる。
そこの矛盾にも気づかずに混乱と劣等感だけが積み重なっていく日々。
あるとき、金子みすゞさんの詩の『わたしと小鳥とすずと』で
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
とあった。
そうだよね。元々みんな違うのだよねと当たり前のことだが開眼したように納得した。
同時に辛い環境でこんな詩を書いた彼女の優しさ、懐の深さと広さに子供ながら感じ入ってしまった。
みすゞさんの詩が有名になるにつれて、個性ってそもそも出すものじゃなくて、備わっているものではないかと世の中の流れも変わったように私は思う。
教育はどれが良いなんて簡単には言えないけれど、時のブームに子供は振り回される現実があるのを大人は認識すべきかもしれない。
数年前、渋谷で飲んでいたら、私が茶道の稽古に通っていることを聞いた40歳代後半とおぼしき、バブルを匂わせる化粧の女性がなぜか鼻息荒く怒りぎみに
茶道って決められたことをやるだけでしょ!私はフラメンコをやっているのだけど、決められたことをやるんじゃなくて自分の個性を表現するのよ!
と言ってきた。
私は当惑しかなくて、茶道の根底にある禅とか仏教とか哲学の話をしても仕方ないだろうと、彼女の顔をぼんやり眺めて愛想笑いをした。
想像になるけれど、私より10歳くらい上の世代だから、『個性』ブームでもあるバブルの真っ只中世代。
特にお金が湧き出る狂乱のなか、アッシーとかメッシーとか新しい価値観が発生した。女性が男性上位社会から開放され、自己表現をすることが正義という世代なのかもしれない。
その店に集まる女性が怖くなったのは言うまでもない(真顔)
個性って表現してなんぼということでもないようにも思う。
容姿も声も考えることも人それぞれ。それが個性。それを比較して良いとか悪いとか世の中の人達は勝手に論評してるだけだ。
そんなことより、色んなものにココロが縛られず、何時も自分の生きたいように自然と飾らず生きれたら一番なんじゃないかな。
穏やかに実感としてそんなことを言える人になりたい。
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~HSPの日々~ちょっとしたことで生気を吸い取られる
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
HSPという気質を持っているのを認識したのは、ほんの3か月くらい前のこと。
それまではちょっと考えすぎたり悩みやすい人くらいにしか自分を認識していなかったので、誰もがいろいろ考えているけれど表に出さずに明るく生きている精神的に高等な人々だと思うようにしていた。
どうやら違うらしい・・・
ところまで認知した。実際どのレベルまで違うのかは理解できていないので目下非HSPの人たちを観察している。
それとは反対にHPSの自分も観察している。
- 満員でもないのに電車内で接近して来たり、エレベータで後ろに私がいるのに数センチまで詰めてきたりなどでひどくゾワゾワ不快になってしまう。
- 車内の遠くでも急に怒鳴ったりする人がいると恐怖。
- スーパーは店員がたくさんいるのでよいが、店員が固定されている店に続けて行くと、顔を覚えられそうなので怖くていけない。
- 会話をしていて、相手にとって気の利いたことが言えていないのではないかと怯えた気持ちになり、最終的には嫌われたんじゃないかと落ち込む。
- 閉じた傘を相手に当たりそうな感じで振って歩いている人を見るとイライラする。
- 臭いに敏感。好きではない臭いに遭遇すると、息を止めてやり過ごす。特に人の臭いの好き嫌いがある。科学的な香料の臭いで頭が痛くなる
- 大きな音、騒音が心を不安に陥れる。イヤホンは欠かせない。他人が食べるときの音など気になりだすと止まらない。
何気に生活しているだけで、感情が動いているみたいだ。あまりに日常的過ぎて気にも留めていなかったが、ちょと外に出るだけでマイナスな感情に揺り動かされている。
昨日は友人が注文した商品が自分の求めていたものと違うと揉めだした。私は想定していなかった展開となり、険悪な雰囲気を巻き起こしており、1時間以上待たされたので激しく気分が落ち込んだ。(近くのカフェに行きたかったのに)
なんで彼女を誘ってしまったんだろうかという自己嫌悪も発生。
正直なところどちらが悪いとも判定できない内容なので、騒ぎ出した友人には最終的に怒りさえ覚えた。(なぜかこの友人は買い物でのトラブルが多い)
帰宅してからもずっとその内容が頭を占拠してしまい体がだるくなる。睡眠が浅くなった。
1日経って別の人に会ったりなどして、ようやく心が落ち着いた。
そんな自分はメンドクサイがいい部分もあるという話は別の機会に!
↓ あ~あるある。すごい共感。
『おもてなし』とは何なのだろうか
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
最近、「おもてなし」という単語を日本独自の特色であるように聞くが、なんとなく違和感があるのだ。
書こうと思ったのも、何故だかそんな会話があったり、立て続けに深く考える事象が続いたから。
『実用日本語辞典』によると
おもてなし
別表記:お持て成し客に対する心のこもった接遇、歓待、サービスなどを意味する表現。「もてなし」に丁寧の「お」をつけた言い方。もっぱら「お」を付した「おもてなし」の表現で用いられる。もてなす事そのものが丁寧さに満ちた行いである。
特に「お・も・て・な・し」もしくは「お、も、て、な、し」のように表記されている場合、これは2013年9月にIOC(国際オリンピック委員会)総会でプレゼンテーションを行った滝川クリステルの発言を指している場合が多い。滝川クリステルは東京の五輪招致アンバサダーとして壇上に上り、仏語のスピーチの中で日本の「おもてなし」を紹介した。その際に一音ずつ離して「お、も、て、な、し」のように発音している。
「お・も・て・な・し」は、「じぇじぇじぇ」「今でしょ」「倍返し」と共に、2013年ユーキャン新語・流行語大賞 に選ばれている。
オリンピック招致でのプレゼンテーションで一躍キャッチーな言葉として多く使われるようになった。
心のこもったサービスを日本人は海外の皆様にも提供しますよ~というアピール。
確かに、一流の旅館やホテルではそういったサービスを提供していると思うし、四国のお遍路などお接待といって旅人を無償でもてなす文化もある。
販売などの接客業でも、マニュアルとしてお客様をもてなす行為が決められていたりする。自然にお客様にたいして、丁寧に接する文化が海外に比べたらあるのかもしれない。
海外といっても様々な文化があるからひとつに出来ないと思うので、比較は割愛する。
私の違和感を持つところは、このおもてなしが一方しか向いてないことだ。
おもてなしを提供するものとされるものという考え方がいまの日本では当たり前となっていないだろうか。
もっと平たく言うと、金を出される側と金を出す側の二極に分かれて、金を出す側が偉いという構造を示しているように見えてならない。
突然だが、ここで茶の湯の話に遷る。
千利休は茶の湯を大成したことで有名であるが、とんでもない意識革命をしたのではないかと私は思っている。
この当時は現代よりも階級社会であり、身分の上下や区別があったため、ちいさな茶室で同じ高さの席に膝を寄せ合うというのは異常な感覚だった。それを世の知識階級や権力階級たちのサークル内で面白いと思わせた。さらに現代まで続くような仕掛けを施した。
茶を呈すという行為。はじめは、客をもてなすための行為であった。
千利休は『茶事』という、亭主が客をもてなす行為のなかに、相互の心の交流をエッセンスとして注入した。
客は路地から、待合いのしつらいから亭主がもてなすための日々の苦労や準備を感じる。茶室の掛け軸や道具で、本日の茶事のテーマを読み取る。
そして、亭主に招いてくれたことに対して礼を尽くす、茶事のテーマを感じながら進んでいく茶事の懐石や菓子、茶などにちりばめられたメッセージを読み取る。
亭主と客の心が繋がったときに『茶事』の完成がある。
茶の湯のもてなしは一方通行ではない。
現代日本は一方通行のおもてなしが横行してやしないだろうか。
だから、クレーマーと呼ばれるような人が増えてわが物顔で横行しているように見える。
お客様は神様だ!
という言葉がまかり通っているように。
もてなす側ともてなされる側が対等に交流できる『おもてなし』の文化が日本に定着する日が来たら、胸を張って
お、も、て、な、し
と言いたい。
フジファブリック『FAB FIVE』発売に寄せて
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
語彙の足りない、音楽ネタに再びおつきあいを!
本日発売、フジファブリックのミニアルバム『FAB FIVE』!!!
待ちに待っておりました!
てか、すでに聴きまくっていたので私の血肉になっている曲たち・・・
どれだけ、今年の私を鼓舞してくれたか、支えてくれたか、感謝しかない
私は少し変則的なファンだろうと思う。
2009年12月24日に志村くんがなくなったすぐ後に行われた幕張の『COUNT DOWN JAPAN』
フジファブリックのライブは次の日の予定だったろうか。奥田民夫さんが泣きながら『茜色の夕日』を弾き語っていたのが印象的で、その日の会場はお通夜のような雰囲気に包まれていて、どのミュージシャンの曲も悲しかった。
翌年、くるりのツアーライブでサポートとして登場したのは、山内総一郎氏だった。
フジファブリックの曲は知っていたけれど、私はすぐに彼のギターに魅了されてしまったのだった。くるりのパフォーマンスは相変わらず素晴らしかったが、総くんにくぎ付けの私。
京都音楽博覧会でも総くんが登場して、ずっと凝視してた気持ち悪い女は私です(笑)
それから2011年の東日本大震災、個人的な話だが離婚したり・・・
なんだか音楽が聞けない日々が続いた。音楽だけじゃなくて、いろんな音が入ってくるのに心が受け付けなくなったのだった。
大好きだったライブからのしばらく足が遠のいてしまっていた。
昨年の10月に矢野顕子さんがピアノの弾き語りで、フジファブリックの『bye bye』をカバーしているのを聴いた。
急に胸がざわざわして、YouTubeを検索したりフジファブリックについて様々調べだした。
志村くんの曲はもちろん印象に残る個性的なものばかりですごいのだが、3人編成になった後の楽曲たちの力に感動してしまった。
元気で、優しくて、寄り添ってくれて、当時仕事に悩みつらい日々を頑張る気持ちと乗り越えるパワーを与えてくれるものばかりだった。
カリスマ的存在のフロントマンだった志村正彦氏がなくなって、残された3人はフジファブリックとして活動を続けることを決めた。これまで歌はコーラスだけだったギタリストの山内総一郎氏がフロントマンとなって歌うことを決意した。
何故バンドを続けることにしたのか。
「志村くんの作ったバンドを勝手に解散することはできない」
からだった。
いまだに、ボーカルが変わったフジファブリックを揶揄する人もいる。もちろん、それは覚悟だった。
そんなこと以上に志村くんのフジファブリックの曲を伝えていくことが、そして残された自分たちの曲を作っていくことが彼らの使命だった。それを命をかけてやることが重要なのだ。
志村くんはいつも彼らのそばにいるから。
始めは曲作りから彼らは苦労した。まごころブラザースの桜井さんが指導にあたった。特に当時の総くんは目の下に厚い隅ができていたし、大ちゃんは気胸で入院したり大変だったそうだ。
そんな彼らの作る新しい曲たちは、志村くんのものとは全く違う。あの情緒的な郷愁に満ちた、レトロな香りもする独特な世界観はない。
けれど、総くん曰く『ヘンテコな曲』たちは私に勇気と希望と力を与えてくれる。
3人の色とりどりの鮮やかな楽曲はあきらめずに、前に進む後押しをしてくれる。常に彼らの曲は常に未来を向いている。
しかも、佐久間ドロップみたいに全部味がちがってどんな曲が出てくるのかワクワクする。ライブで先行して披露してくれるのが愉しみだ。
悩んで試行錯誤して支え合った彼らだからできる珠玉の曲たちなんだ。
特にライブバンドらしく、ライブはパワーに満ち溢れているし、演奏の技術力の高さが安心して音楽に身をゆだねさせてくれる。
透明感のある歌声で熱唱しながらも大好きなギターをかき鳴らす総君、フジらしいエッセンスを入れるキーボーディスト大ちゃん、軽妙な歌詞をつくりいつでも優しく支えるベースかとをさんと、兄貴的存在ドラマーBOBOさんたちが演奏している姿が本当にみんな楽しそうで見ていてうれしい。
そして、しゃべりが苦手な総くんのMCは永遠にゆるふわでぐだぐだであってほしい。(懇願)
来年は15周年。志村くんが亡くなって10年経つ。
志村くんの歌をつなぎながらもどんどん進化していくフジファブリックがこれからも楽しみで仕方ない。
~HSPの日々~意外なことを誉められた
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
最近、新しく接する方とか再会した方など人間関係の流れがゆっくり変わってきた。
密に付き合ってきた方と疎遠になったりも有りつつ、変化の時期なのかもしれない。
自分では劣等意識しか無かった論理性なのに、「論理的に話をするね」とか「話の組み立て方が分かりやすい」とか意外や誉められることが続いてビックリしている。
これは、部下を抱えてここ数年かけて人に物事を伝えることを意識した賜物かもしれない。
HSPの特性だろうけれど、 小さい頃から他人に伝えること、つまりコミュニケーションは苦手分野。むしろ何も話したくなくて、聞いている方が楽だと思う質。できれば、ほぼ人と接したくなくて穴倉に誰も知られずに過ごしたいと思うことすらある(真顔)
脳内は人には話せないようなくだらないことを考えているし。
(それをブログに書いたりしてるんだけど)
日本社会で生きるためには穴倉生活をするわけにもいかない。サラリーマンを選んだ当時の私は、会社に行って、業務指示を部下に、調整したい内容を取引先の人に伝えなくてはいけないし、ときには議論もしなくちゃならなかった。
しかも、これもHSPの特性か普通の人に見えるようにしなくちゃいけないと思ってしまうところがあって必死でやっているうちに、気が付いたら理論武装と説明癖を習得していたようだ。
褒めてもらえると、そういう長所となった場所に気付けるもんなんだなあ~。
今さらながら人を『褒める』『認める』って行為が崇高なものだと、大発見だった。
人のいいところを褒めてください、認めてください!
ある一定の年代の人たちは「褒めて伸びる?甘えてんじゃねえ!」って考え方するけれど、違いますよ。
間違ったことは注意や指摘をしていいんです。
その反対に、
よかったことは認めることは『自分の糧』を気づかせてくれる希少な機会なんですよ。
特に自己否定が強いHSPにとっては泣きたくなるほどうれしい体験。
そんな当たり前のことに気づいた話。
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
- 作者: 武田友紀
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2018/07/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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