窓辺の喫茶

空想喫茶店でおもいついたまま好きなことをぼやきます。

何故着物が好きなのか

窓辺の喫茶店主ミワコです。

 

完全に体調を崩していました。ライブから電池が切れたのかヘロヘロしております。おまけに風邪を引いてドロドロ。

 

なかなか治らないのは歳のせいにしたくないけど・・・

 

今日は山総の誕生日だ!おまけに満月だ!めでたいぜ!

いぇーい!

 

テンションあげて行きましょう!

 

 

着物が好きで着ていることが多いので、専ら不思議そうな目で見られるのだけれど、何故こうも好きなのかとなれ初めを思い出してみた。

 

思い返せば、幼稚園生くらいから雛人形のチラシを毎年確認するのが好きな子供で、色合わせのトレンドを具に観察していた記憶がある。見ているだけで、衣装の素敵さにワクワクしたり、人形の表情とか木目込人形は愛らしいし飽きないものだった。

雛人形は宮廷衣装で、現代に着られているものとは少し様式が違う。だけれど美しさに目を奪われていたのが一番始めのように思う。

 

大河ドラマとか時代劇も好き。素敵だなぁと観ていた。

 

高校時代から大学生時代は歌舞伎にはまり、お小遣いを貯めては通っていた。もちろん着物も美しくて『本物』にはうっとりしたのだった。

 

実際袖を通したのは七五三、七歳の時に従姉妹のお下がりで紫色の着物を着たのを覚えている。当時、小学生で虱が流行っていて髪の毛を伸ばせず、ショートカットなのが自分としてはダサすぎて無念の思いをしたのだった(笑)

 

次は成人式。

朱色の振り袖を近所の母親御用達美容室で着せて貰ったが、何となくイマイチ。

髪型は何故か七五三の子供のようにされて、口紅はシャネルの小豆色でクサイヤツ(笑)

結構絶望的な気分だった。

 

グチグチとした思い出だが、今さら考えればこう言った行事は両親が子供にお金をかけてしてあげたいことだから、正直本人の意向なんてどうでも良いのだ。

でも、何故か私には着物姿に対する理想みたいなものが既に出来上がっていたみたいなのがちょっと不思議なものだ。

 

 

洋服に興味がなかったわけでもない。

 

『non・no』を買って、可愛い洋服を夢見て研究した時期もあったし、ファストファッションもなかった時代は背伸びして、高価な洋服を買っていた。

 

でも、自分おしゃれだなぁーって思ったことは一度もない。

 

回りの女子大生はキラキラと髪型から足の先まで隙のないファッションに身を包んで眩しかった。

 

女は服よ!

 

と、突如としていい放った同級生にはビックリしたが、彼女はいつもお洒落だった。

 

150センチ小柄なのに顔は小さくもなく彫りも深くない『平たい顔属』だし、手足も細くもなく長くもなく、そして寸胴体型、誰が見てもメイドインジャパン以外考えられない姿形。

自分は何を着ても田舎臭さが抜けないなぁ~なんて自己否定感たっぷりだった。

 

さらに恐ろしいことに洋服は毎年流行があって、それなのに着せ替え人形のようにとっかえひっかえ洋服が替わる毎日お洒落な女子大生には舌を巻くばかりだった。

僅か20年にも満たない人生であんなにも女子力を磨けることと、流行に乗れる技があることに彼女たちと自分とは格差がありすぎて絶望すら感じたのだった。

 

そして、洋服にひとつの見切りをつけた事件。

 

社会人になってから観た映画『プラダを着た悪魔

 

ジャーナリストを目指すひとりの冴えない女の子がキャリアウーマンの道をみつけて行くシンデレラストーリーで、今でも大好きな物語。

 

 

このシーンに私は衝撃を受けた。

 

雑誌に載せるコーディネートの会議。

似たような2本のベルトをあーでもない、こーでもないと悩む編集長やスタッフの姿。それを端で見て「こんなものに」と失笑した主人公のアン・ハサウェイ演じる新人アシスタント。

彼女に向かって鬼編集長のメリル・ストリープが放ったセリフ。

 

家のクローゼットから、その冴えない”ブルーのセーター”を選んだ。

”私は着るものなんか氣にしない。マジメな人間”ということね。

 

でも、その色はブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもないセルリアンよ。

 

知らないでしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレを、サン・ローランがミリタリージャケットを発表。

 

セルリアンは8つのコレクションに登場、たちまちブームになり、

全米のデパートや安いカジュアル服の店でも販売され、

あなたがセールで購入した。そのブルーは巨大市場と無数の労働の象徴よ。

 

でも、とても皮肉ね。

ファッションと無関係と思ったセーターは、

そもそもここにいる私たちが選んだのよ。

 

”こんなの”の山からね。

 

 

な、なんと私が頭を悩ませて着る洋服たちは、異世界のコレクションで遥か数年前に誰かに評価された色やデザイン・・・そして私が着る量産品は最先端でもなんでもなくて、最終到達地点の工業製品なんだ・・・

どんなに素敵でも、どんなにダサくでも。

何に私は追われていたんだ。すべてが馬鹿馬鹿しくないだろうか。

 

開けた口が塞がらなかった(笑)

 

それからの好みは、シンプルやナチュラルなあまり流行の幅がちいさそうな路線変更したのだった。

しかし、難点としては清潔感もあるし可愛らしさもあるけれど、女性らしさや美しさにとは少し隔絶される装いかも知れない。

 

そこで再び私の眼前に現れたのが着物だった。

 

ある日、美容師である友人が着付けを習ったので教えてくれるという。今考えれば驚きなのだが無料で2回ほど教えてくれた。

長襦袢と長着を着ることは大体マスター。半幅帯をなんと結べて外出はできる程度に出来た。

  

お太鼓に帯を結ぶことは、和裁教室で知り合った友人に『前結び』を習いマスター。これもご厚意で教えてもらえた。

 

二人とも大恩人だ。

 

そして、着物は自分で着付けると本当に着やすいし、何より自分が何十倍も素敵に見えたのだった!

 

純国産型の私にとって、寸胴であることや平らな顔が着物にしっくりくる。

足が短かろうが着物はものともしないのだ。

 

さらに、着物は洋服ほどの流行の変動が激しくないから、友人から譲り請けた30年前の着物や帯も古びた感じが一切ない。色がちょっと派手でも、小物の取り合わせ次第で表情も変わる!

着物雑誌だって、10年くらい前では全くジェネレーションギャップを感じることはない。

 

流行に追われて齷齪することもなく、自分の好みで自由に楽しめることが魅力だった。

 

そして、着物は高いと言われるけれど、年老いても着ることができそうな色柄ならば本当に一生ものと考えるとどうだろう。

 

私も求めていた『着るもの』として一番しっくりくる!

 

元々絵を描くことや色や柄、生地に関して興味があり大好きなので、少しのルールを除けば束縛の少なく、絵を描くように色を自由自在にコーディネートできる着物は私にとってパラダイスだった。

 

ちょっと、着物を見る目が変わりませんか?