『開炉』に思うこと
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
少し後れ馳せながら、昨日は私の社中も炉開きでした。
炉開き、開炉とはなんぞや。
不審菴のホームページにはこのようにある。
開炉
かいろ11月はじめ立冬を待って炉を開くことをいい、「炉開き」とも呼ばれる。11月より翌春5月まで、半年間炉による茶の湯がおこなわれる。また、その年の春に摘まれた新茶を使いはじめる口切の茶の頃と重なって、開炉の頃は茶の湯の正月ともよばれる。千利休の頃は柚の色づくのを見て炉を開くともいわれた。
表千家不審菴
『茶の湯のお正月』
どうやら茶の湯の歳時記は新暦と旧暦が混ざっていて、11月に開炉で、1月は正月初釜のため、年末年始にかけて非常にイベントが多くあわただしく感じるのだが、本来は旧暦の10月なので正月まで3ヶ月の間がある。間隔としてはちょうど良かったのかもね。
畳の上に置いた『風炉』から、畳を切った『炉』に変わるとお点前もがらりと変わる。半年ごとのサイクルだが、全く気分が変わる趣向で茶の道を進むものをマンネリ化させない巧妙な手口だと毎回思う。
また、春に摘んだ茶葉を壺に積めてこの時に壺の口を切るという儀式が行われた。
現代は茶道具屋さんや百貨店に行けば真空パックに入った緑の美しいお茶が変えてしまうが、保存技術が発達していない昔はこの口切りの茶が一番新鮮で緑に輝き美味しいお茶だった。
10月頃の名残の茶は道具も侘び錆を感じさせるが、茶も侘びた色になっていたものだろう。
今も茶壺を開いて茶事を催す方もいるそうだが、慣例として茶壺の拝見だったり席入りの挨拶などのお稽古をする教室が多いと思う。
表千家だからか分からないが、無病息災を願って先生お手製のお汁粉が振る舞われるのが最も楽しみ(笑)
小豆は魔を除ける意味があるそうだが、そんなことは忘れるくらい美味しい。
炉を開くためには灰を作らなくてはいけない。先生方は並々ならぬ苦労をされているのは忘れてはいけないところ。
稽古で出た灰を集めて番茶で色付けし、乾かし粒を揃えるために濾したりなどして濡れ灰を作る。
茶人の家で災害時に何をもって逃げるのか?
それは『灰』なんだそうだ!
『灰』は1日ではできぬし買うことも(昔は)ない。ゆっくり手入れして育てるもの。
何もかもがぽちっと手に入る時代になったけれど、手間隙かけることについて考える機会。
それが開炉の時期かもしれないなと思う。