根津美術館『新 桃山の茶陶』展と講演会
茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。
朝、布団から出たくない季節になりましたね。
あったかい掛け布団を感じるのは寒い時期ならではのシアワセなんだというのを、今更ながら気づいたんです。
温い羽毛布団の中は天国。
これくらい寒いと本当は毎日着物で過ごしたい。
着物でも怪しまれない場所に行くのが嬉しい。
根津美術館もそういう場所。
茶人にとったら東京におけるオアシスのひとつだと思う。私だけかな。
門を入るとこのストロークが異界へと誘う。
言わずと知れた隈研吾の設計。
今回は表千家青年部東京と神奈川支部の催しで、桃山の講演会が催された。
特別展 新・桃山の茶陶 | 根津美術館 | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ
京都市街の発掘調査で三条通りに慶長から元和の短い期間、やきもの町という茶道具や懐石のための食器を売る商店が集まるエリアが存在した。
ここからは大量かつ未使用の陶器が埋められていた。どうやら店の裏手に不良品を捨てる場所があったため
文献からもそこで買い物をした僧侶や、伝世品と発掘物の照合で、恐らくその店で求めたことも分かってきた。
しかし、忽然とその店は消えた。理由は未だこれとしたものは判明していないという。
また、この中の短い時期に形の歪んだような桃山期特有の器が作られる。
へうげものとも表現されるが、いまや日本の代表する陶芸でもあるが、何故このような造形が珍重されたのかも判然とはしない。
どうやらこの時期の、美濃や信楽、眉山、唐津などの作陶は、全てではないだろうが、京都の商人のオーダーで作られたことが発掘物から分かる。
ある店は懐石の食器専門、ある店は水指や花入、ある店は茶碗専門。
また繊細な造りが好みとか、鳥の柄が多いとか、丸いポチポチを付けるのが好みなど個性も見える。
そして、文献を見ると僧侶はここで何十個もの茶碗を買っているようだが、それほど高い金額ではないようだ。唐物(中国や朝鮮、安南などのアジア)のように高級品ではなくて、国産品はお手柄価格の廉価品だった。
ここからは私の勝手な私見。
これだけ一堂に会するのをみると、桃山期に流行った歪みのある陶器は芸術性の高さというより、一過性のブームを表したファストファッションに近い。
作陶の技術も高くはなくて、非常に荒削りでスピーディに大量に作られた。
自ら工房で作陶した尾形光琳や乾山、本阿弥光悦らの繊細さがあるかというと正直それはない。
重くて厚くて使いにくいだろうし、不安定さも感じる。
だから価値が無いのでは無い。
自然誘発的な灰秞の妙や、恐らく陶芸に詳しくはない商人の自由な発想によるオーダーは意外性しかなくてクリエイティブだ。恐らく田舎で暮らす既存の陶工のアイデアだけでは生み出されていなかったのではないか。
これまで陶器で作らなかったものを次々と表現してみたり、手でぐにゃりと凹ませてみたり、お皿の形も自然物を模したりととても自由。作りやすさなんて考えていない。運ぶ時に壊れやすいかなんかも考えて無いんじゃないの?
戦乱の世が秀吉の天下統一で終わりに近づき、京都の区画整理で人が増えてきた活気ある時代を象徴するような、そんな陶器たち。
この講演で初めて知ったのだが、茶の湯懐石の食器から陶器が出現したのだそうだ。
てことは、それまでは木製のお椀で皆食事をしていたのね〜。
茶の湯の日本文化に及ぼした影響って、まだまだ深い。
もうひとつ思ったのは、分からないことだらけの日本の歴史。先日、利休が切腹しているという当時の史料はないと述べていた学者さんがいた。
そうなのよね。
史料の読み込みも解釈も、考古学との照らし合わせも縦社会の学者世界、追いついてないのかも。
有意義な1日でした!
16日まで開催中です^_^
当日の着物。
これも結城紬。買ってから始めて着てみて、コーディネートをただ今模索中。
帯は前日と同じ更紗帯です。
コーディネートのお話はまた別途しようかな。