窓辺の喫茶

表千家茶道、茶人を目指す。アート、音楽好き。HSS型HPSのため臆病なくせに好奇心旺盛。日常に思ったことの徒然を書く。

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茶道 炭点前やってますか?

茶道よりもマラソンにご執心してるんじゃないの疑惑が発生している窓辺喫茶亭主のミワコです。

 

それよりも絶賛15周年活動中のフジファブリックに夢中...⁉︎

 

ちゃんと、茶道活動してます〜(汗)

先日参加した茶会についても書かねばと思っています(^◇^;)

 

はい。

言い訳はさて置き。

有難いことに、この記事を読んでくださるかたが多いようです。乱筆乱文なのに有難い。 

 

www.madobekissa.com

 

 

 

今回は茶道への問題提起編のひとつとしてこの記事を書こうと思いました。

 

 

先生と最近話す話題で、

 

炭のお点前をしていない稽古場がかなりあるようだ

 

ということ。

 

幸い私の通う稽古場は炭のお点前を教えてくださる環境が整っています。

 

ちなみに、私は炭点前がとても好きです。

 

炭とは本当に面白いもので、くべ方や灰の成形、炉の中の温度などで火の付きが全く変わってきます。

茶事だったら早く湯が煮えすぎても良くないので、懐石が終わる頃に沸騰する具合を見越して、胴炭という一番大きな火力になる炭から火を離して炭を配置するとか、お稽古ですぐに熾したいから火を胴炭に近づけるなど場合によって工夫もします。

  

道具もひとつひとつが美しく、炭の形も整えられ、くべる姿も造形的にも赤と黒と白の色彩的にも美しく、かつ機能性を考えて火を熾こすという芸術です。

冷静にこんな人類どこにいるんだと驚愕すらします。

 

言葉悪いけど、炭にかけるオタク度が過ぎる!(笑)

だから好きなんだけど(笑)

 

流派によっても炭の配置が違ったりするので、それも美意識や理論的な差があるのかな。

 

基本の炭点前(表千家流) (お茶のおけいこ)

基本の炭点前(表千家流) (お茶のおけいこ)

 

茶を点てるにはガスやら電気やら無い時代において、火をつけて湯を沸かすための炭を熾こす作業は非常に重要なポイントです。

もしかしたら、30秒でカチッと湯が沸いてしまう現代人には違和感があるかもですが少し前までは日本でも湯を沸かすことに苦労が付いて回った時代があったわけで。

(日本中にガスが行き届いたのも戦後ですよね)

 

利休さんも炭点前は特別に励んだなどという話もあるくらいなことです。

ベストタイミングで適温に湯を沸かす苦心。

だって、このタイミングひとつで、

 

茶の味が断然変わってしまいますもん!

 

 

そんなこともあってか、

 

茶人が一番大切なものは『灰』だそうで、火事がおきたらまず灰の入った壺を持って逃げよという!

 

以前にも似たような記事を書きましたが、炉の灰は時間をかけて育てているものだからです。

 

www.madobekissa.com

 

 

炉の中で燃え尽きた炭は灰になります。それを集めて、不純物を除き煮出した番茶で色をつけ、乾燥して篩で濾します。

また、炉の場合と風炉の場合と灰の粒子は変えます。

それで灰が増えるかというと、「そうでもない」んだそうで不純物を取り除いて行くとなかなか増えない。

 

茶道具ならお金さえあれば買えますが、灰はそうもいかないというわけです。

 

実際のところ、今は茶道具屋さんに行けば買えますが、灰を育てている茶人は少なくないようです。

 

 

しかし建築技術の進化で住居の密閉性は高くなり、木造で隙間のある住宅がいまや皆無。

マンションに住む茶人も増えて、自宅で炭を起こすこと自体が禁止されたり、一酸化炭素中毒や火事などのリスクが大きいので電熱器を選択することになってしまっているという現状もあります。

 

 

加えてクヌギが採れて炭が多く作られていた東北が東日本大震災の以降に生産が少なくなり、炭が高騰して費用がとてもかかるという問題もあります。

そもそも、需要も減り生産する会社が少なくなっているんでしょう…

 

 

そんな中で、

 

今時、電気が普通でしょ

 

と普通にいう茶人も増えているとか。ガーン。

 

はい。風炉の中にこういうのを入れるんですね。炉用もあります。

我が社中でも、灰や炭のコンディションの問題で使うことはありますが…

 

 

そもそも茶道を知らなければ、炭を熾こして湯を沸かしている人間が現代にまだいるってことにビックリするかもしれないですよね。

 

私もはじめは驚いたし(笑)

 

昔はやってたけど、今は電気よって言っても信じちゃうかもしれないわ。

でも、茶を客にもてなす時の心配りが湯を沸かす行為をも含んでいるということは、炭点前が出来なくても…

 

バックグラウンドとして伝えて欲しいと思うところであります。

 

湯を沸かすという行為や機能の他にも付随してくることとして、炭で沸かすと釜から聞こえる松風の音優しく、火が落ちてくるとその音も静かに聞こえなくなります。

火も生きているものであるのだなと身に染みて感じるんですよ。

 

そういう感覚としての追体験があってこそ、茶の湯のココロを理解し、次世代に繋げたりできるのではと私は思います。

 

悲しいかな電熱器はそうはいかない。スイッチを入れれば轟々と湯は沸き、スイッチを切ればシーンとします…

 

 

私自身はたまたま炭点前を続けている先生につけたことが幸せだなぁと思います。

 

普段はできないけれど、たまにはできる場所を借りて体験させてくださる先生もいるかもしれません。また、流派の講習などで機会を設けてくれる場合もあるかもしれません。

以前訪れたお茶会の亭主の先生は、普段は電熱器を使っているためこの機会を利用してお弟子さんに炭点前を教えたとか。それも素敵なことと思いました。

 

そういう機会を存分に利用して欲しいです。

 

この稽古場は電気が普通でも、本来はこうしていたという教えをして欲しいな。

よもや、千家の七事式にある『回り炭』とかは、「電気が普通だから絶滅したので現在は六事式です」とか言わないよねσ(^_^;)

 

そんな先生いないと思うけど、炭点前なんて今時ないわよっていうようであれば稽古場変えた方が良いかもよ?なんてね。

 

これから暑くなって風炉の熱気に汗が噴き出すなんてこともありますが、そんなことを思いました。

 

<補足>

 

こういうキットで練習されてたりもするお稽古場もあるようです。