窓辺の喫茶

表千家茶道、茶人を目指す。アート、音楽好き。HSS型HPSのため臆病なくせに好奇心旺盛。日常に思ったことの徒然を書く。

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慢性鼻炎と鼻水と私

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

あまりキレイな話でないので、苦手な方はスルーくださいませ。思い出話です。

 

最近は秋の花粉が跳んでいるのかな。突発的にくしゃみと鼻水が止まらない日がありますね。

 

今から30年以上前なので、アレルギーとか花粉症が一般的ではなかった時代。

我々姉妹は『慢性鼻炎』というで年中鼻水と鼻づまりに苦しんでました。

 

就寝時に鼻が詰まって苦しいのでヴックス・ヴェポラップの軟膏を塗るとスゥッとして楽になった。青いプラスチックの容器とエメラルドグリーンの蓋、ベトベトするけど素敵な相棒。

 

週一回は、母と妹とバスに乗って街にある耳鼻咽喉科に通って鼻の中に蒸気を送り込む機械と対峙していた。

 

先生が手荒に鼻水を吸う機械できれいにしたあと別のスペースに移動。鼻に二股に分かれた透明の吸入気を差し込み、ひとつ空いている穴を指で押さえると温かい蒸気が送り込まれる。

 

患部に蒸気を当てるために鼻にぐっと差し込むのでさながら豚鼻製造器だ。口は半開きにして蒸気をながす。唾液が口内にたまってしまうので定期的に息を止めてごくりと飲み込む。

何故か鏡が前にあって、不本意ながら変顔をしている自分が写る。

 

果たしてこの儀式に何の効果が合ったかは未だに不明だ。

 

鼻の穴が上を向いたのはこの影響かと考えたこともあるが、妹は綺麗な鼻なので違うのだろう。

 

特に薬を処方されて飲んでた記憶が無いので、症状を治すとか押さえるみたいな医療は田舎町にはまだ無かったのかもしれない。

 

鼻水や鼻づまりは突如来訪する。いつだって予告はない。

今は花粉のシーズンとか季節の変わり目とか、ホコリの起きやすい朝とか、予測がつくのだけど当時はどのタイミングで発生するのか分からなかった。

 

訪れやすいのが、何故か静かな授業中。鼻の奥からムズムズしだして鼻水が滴ってくる。

テッシュを鼻に当てるものの、鼻をかんでスッキリなんてことは恥ずかしくて出来なかったのでひたすら水分を除去する作業に徹する。

 

不幸なのはポケットテッシュを忘れたか、残り少ない時。どうやって乗りきるか頭をフル回転させるも、吸い込むか手で拭うくらいの解決策しかなく、

 

早く授業よ、どうか終わってくれ

 

と45分ひたすら切実に祈り唱えるしかなかった。

 

知恵があれば先生に申告してポケットテッシュではなくて、ボックステッシュを常備できないか交渉したろう。当時はみんなとは違って鼻水で苦しんでいるのは恥ずかしいしから絶対秘匿時事項だった。

頻繁に鼻水事件が起きるのにテッシュをたくさん用意してない私も学習能力低いな~(汗)

 

ふっと記憶が戻ってきたのだが、クラスの中に私と同じような症状の男の子H君がいた。

ひょろりとしたやせ形の姿で、小学生低学年ながら、すでにくたびれた中年サラリーマンのような空気を醸し出して、一日中鼻をかんだり、袖で拭ったりしている光景があった。

あまり前に出ていくタイプでも、モテルタイプでもなかったように思う。袖がカビガビしてそうだから、むしろ女子にはモテなかったのかもしれない。

 

私は特に会話をした記憶はない。

あの頃、どの男子児童とも仲良くした記憶が無いから彼と特別に距離を置いていたわけでもない。

 

今にして思えば、慢性鼻炎トークができる仲間ではなかったかと残念でならない。貴重な共感ベースを築ける仲間だったはず。

 

 

大人になって世の中は様変わりした。

 

花粉症が国民病と言われ、鼻をかむ行為が恥ずかしい人だと思われなくなった(と勝手に思っている)

職場の隣に座るM君はオフィス全体に拡がる轟音で鼻をかむ。鼻が壊れないことに感心してしまう。

同い年のK氏は未だに怖くて鼻をかめないそうで、垂れてきたら拭くのを頻繁に繰り返すためゴミ箱はテッシュで一杯だった。

 

マスクをすることも普通になったのは昔には無かったと思う。鼻をかみすぎて赤くなるシーズンは大助かりだ。

 

しかし、私は未だにティッシュを忘れて出掛けてしまうことがしばしば。マスクの中がズルズル・・・身動きの取れない満員電車で、

 

早く駅に着いてくれ!

 

と祈っている。三つ子の魂百までって言うけど、自分にいい加減学習しなさいって思う。

 

しかし、付き合いが長くなりすぎて熟年夫婦の域を越えていて、辛く感じることないなぁ~と感慨深くなる。

 

花粉症は問題だけど、暮らしやすくなったなと子供の頃を振り返るのだった。