窓辺の喫茶

表千家茶道、茶人を目指す。アート、音楽好き。HSS型HPSのため臆病なくせに好奇心旺盛。日常に思ったことの徒然を書く。

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茶道 12月2日の稽古と着物

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

早いものでもう師走。なんだか気がついたら予定が詰まっていて走るように1ヶ月過ぎ去りそう。

 

今日は炭点前の稽古を付けていただいた。

炉開きに引き続き、瓢(ふくべ)の炭取りを使う点前となった。炭の組み方がいつもと違うので、たまにやるものは毎回戸惑う^_^

 

炉開きには「三部(さんべ)」を揃えるということだが、それは「織部」「伊部」「瓢」にちなんだもの。まあ、駄洒落ですな。

 

おりべ、織部織部焼の香合

いんべ、伊部は備前焼の花入

ふくべ、瓢はひょうたんの炭斗

が一般的だと言う。

 

しかし、織部焼は元禄頃から一般的な用語になったらしいので利休の頃からあったものではなかろうなとか思う。

 

駄洒落とか見立て(別の用途のものを茶道具として使う)とか茶道では随所にあって、堅苦しそうでいてそうでもないのが面白いところ。

 

着物は肌寒くなってきたので、暖かい紺色の結城紬にくすんだピンク色の渡文の帯を合わせてみた。

年末の忙しない時季には動きやすい紬の着物を着たい気分になる。

 

どちらもホッコリ系のともするとモッサリかつ老いて見えるテイストのアイテム。

こんな取り合わせの時は、帯揚げと帯締めを明るい綺麗な色にしてみるとスッキリ若々しさが出る。

帯に含まれる、紫とオレンジを合わせてみた。

 

 

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この結城紬は、本結城紬でリサイクルショップで破格で手に入れた。サイズが小さいこと、かなり着たため襟や八掛(裏地)が汚れていたことなどが破格な理由。売りに出した方も着てもらえる人が居たらという気持ちであったと店員さんが仰っていた。

 

しかし、結城紬は始めは硬い生地なのでたくさん着込んだため柔らかくなっている。

着物を解き洗いをしてもらい、裏地はターコイズブルーに替えて、襟を裏返して仕立て直したら、マイサイズ真っ新になった!

柄も幾何学模様でモダンな感じもあって古さは全く感じない。何十年も前のものなのに、それがまた不思議なのだ。

 

薄い紺色の亀甲模様は藍で手染めだとリサイクルショップの方から教えてもらった。色が不均一なのが手仕事の証だそう。今は化学染料なので均一になっていて比べたら成る程と思った。

 

80亀甲なのも、昭和の時代に廃れて今は作っていないタイプだと分かる。

 

ちなみに、これが本結城紬でなくとも、自分で手を加えたため愛おしさは変わらないのだけれど。

 

これは着物でしか出来ないのではないかなぁ。

日本人の絹を大切に着る知恵。

 

新品を購入するのも心トキメクが手入れして自分の着物になるのも愛着を感じる。

私は親や親戚から譲り受けるものがないが、そういった着物がある方は、是非繋いで欲しい気持ちになる。

 

茶道では、基本は柔らかものを着るが表千家の場合は例外として結城紬は許容されるそうだ。

紬の中でも別格に数えられているのだろうか。

 

無地の結城紬に紋を入れて仕立てる場合もあるそうだ。

 

白襟と白足袋でシャッキリと、柔らかい結城紬でのお点前はとても心も暖かくなるひとときだった。

大寄せの茶会、それはひとつの戦場である

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

スマートフォンの具合が急激に悪くなり、満タンに充電されているのにアプリを触るだけで電源が落ちる現象が続き、電源を指しながらでしか使えない代物になっていたため下書きも出来なかったと言い訳しておきます。

本日、機種変更してアプリのインストールやら目下環境設定中。

なので、古い端末触りながら執筆しております。

 

通信環境にこんなに踊らされるってどうなん?と思いつつも使うのを止められるわけでもない小市民ぶり。仕方ない。仕方ない。

 

23日の金曜日は表千家青年部の穏やかで気持ちの良い茶会に参加してきた。

心が洗われるとはこの事かと思いつつ、普段年に数回お邪魔させてもらう大寄せの茶会との違いを噛み締めた。

 

『茶会』というと、皆さんどんな光景を思い浮かべるだろうか?

 

茶道経験者は少なからず「あー、あれね」と口許を歪ませていることと思うが・・・

 

あそこは茶人を名乗るオバサン達の戦場である。

 

茶人の朝は早い。

 

10時に会場であれば、9時前にはもう現地にスタンバイしているのは必至だ。

そして、その熱気に押されて9時半くらいには茶会が開始される運びとなる。

 

開門したら、彼女たちは着物に草履で有るのにも関わらず恐ろしいスピードで走り出す。

その勢いに、漏れ無く若者(と言っても40代以下)は乗り遅れる。

 

大寄せの茶会は前売りチケット制(茶券という)で何席か入れるのだが、基本的に指定席などは無いので早い者勝ち。初めの茶席に入れるかどうかが早く回れるか、チケットを全て使いきれるかの運命の分かれ道なのだが・・・

そのため、順番を確保するために彼女たちは礼儀も作法もなく放埒な場所取り合戦が始まる。

いち早く入った仲間が場所取りをして後から横入りは普通で、酷いときは

 

「私は●●先生の知り合いなのよ」

 

と唾を飛ばしながら定員オーバーの茶席にズカズカ入り込む老婆もいる。

そのせいで小さな茶室の障子が外に吹っ飛んで皆が慌てふためいた時は目を見張って思わず吹き出してしまった。

 

喧嘩が起こることも珍しくなく、年甲斐もなく茶人たちが順番の取り合いで、あからさまな嫌みを言ったり、文句を言いだす。

 

さて、その戦いを乗り越えて茶室に入ると、次は正客の譲り合いが始まる。

 

本来の茶会や茶事では、亭主が客を呼び、それに伴い数人連れが集まり催される。

大寄せの茶会は、亭主から芋づる式に茶件を手に入れた雑多な客が集うため、主たる客は決まっていない。効率的な考えがある茶席の場合は事前に経験がありそうな客から正客を選んでおくのだが、大抵は席に入ってから一悶着となる。

正客の役目を仰せつかると亭主と道具やら掛け軸やら、場を纏めるトークを仕切る重責となるため、出来れば皆やりたくない。

 

まずは、椅子取りゲームのような場所の取り合いが発生し正客の席を譲り合う面倒なくだりが繰り広げられる。

出遅れた客は半泣きで手を振りながら「無理です〜」茶室の真ん中でオロオロ。

最終的には主催者側の半東(仕切り役)が、実はやりたそうな客にお願いする形で終わる。

 

ここで、たまに空気を読まずに何も知らない輩が正客に名乗りをあげるとおかしなことになる。

亭主とのやりとりもトンチンカンとなり、語彙も少ないのでひたすら「素晴らしい」を連呼して味気ないことになったり、まるで見当はずれな茶道とは関係のない話をして白けた雰囲気になることもある。

 

また、自分の知識をひけらかして「この道具の設えは違う」とか、亭主に挑戦を挑むような爺さんもたまにいて嫌な雰囲気が流れたり、そんな悲惨な席もあった。

 

こんな場合は亭主の腕の見せどころだが、亭主も一緒になって白けたり、イライラし出したりなんてことになるとピリついた空気となり、THE ENDだ笑

 

なんだかとっても小難しいのねと思われそうだが、これこそが一期一会なんだなと実感する。

全員が良い意味で忖度して心地よく過ごせる場を作り上げれば良い席だったと思い返すし、誰かが場を乱すとガッカリ心がざわつく席になってしまう。

 

全席回ると達成感もありつつグッタリなのだが、反面人間模様が見えて、一部始終を私は楽しんでいたりする。

茶道の醍醐味ってこういう所に現れるし、日本人だからこそできる文化かもしれない。ま、そんなこと考えるのは変な奴かもしれないな。

 

されど、自分たちが主催側に立つと、お客様がなかなか満足に至るまでのレベルは難しいのかな〜なんて思ったりもする。

何事も勉強だよねぇ。

 

そんなサクセスストーリーが詰まった茶会だが、表千家宗匠は「茶会ばかりでなく茶事をやりなさい」と苦言を呈す。

結局は、茶会も茶事を行うための割稽古(一部分を切り取った稽古のこと)なんですね。

なかなか、手厳しい〜。

 

あー、あと喧嘩とかやめなさいとも言って欲しいわ。

 

さてさて、ひとつだけ思うのは茶席の予約を効率化、システマチックにできないものかなと思う。

酷い時は2時間待ちなんて、ディズニーランドに負けず劣らずな苦行を強いられるので新しい時代に向けて変わらないかな。

 

時間が前後してしまうのは分かるのだけど、時間制で予約をできるとか。

 

新しい世代に向けて、誰か一緒に考えませんか?

 

~HSPの日々~美容師さんは変えられない

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

3月ぶりに髪の毛を切りにいけてHAPPYな1日でした!

 

私のお願いしている美容師さんとのお付き合いは彼是20年近くなっているのであります。

その前は、美容院ジプシーをしていたけれど彼女に出会ってからは変えられない。漠然としたオーダーで素敵に整えてくれるし、会話も気楽~。

 

彼女が勤務地を変えても付いていく始末で(笑)

いや、彼女のファンは多くてそういうお客さん多いのですよ。

 

しかし、困ったことにご家庭の事情で東京からかなり離れた土地へお引っ越ししてしまった。されどお客さんが多いので、数ヵ月に数日間出稼ぎに来てくれるという親切さ!!!

問題は予約をとるのが争奪戦(汗)

のんびりしてたら逃してしまい・・・髪は伸び放題(汗汗)

 

別の美容師さんを開拓すれば良いのだろう。

検討もしたのさ。

 

けれども、HSPは基本的に初対面の相手は恐い。

 

会話をしなければと思うでしょうが、沈黙も耐えられないため一対一の会話を数時間堪え忍ばなくてはならない。

 

想像するだけで、昔の辛い出来事を思い出してしまい恐怖でしかない・・・(゚Д゚ ||)

(自身のパン好きについて滔々と語られたり、会話の切り口が全く見いだせなくて困ったり、大抵薄笑いを浮かべて必死に話そうとする私。心のなかは阿鼻叫喚)

 

あと、知らない人に触られるのも得意ではないですね。美容師さんと言え・・・

もしかしたら、パーソナルスペースがHSPは狭いのかもしれないなと。 

見た目、鏡に映った相手と話すので会話域となるのだと思いますが慣れない人だと、冷や汗かいちゃうだろうな。

 

そういう思考回路になりまふ。てへへ。

 

彼女には今後も末長くお願いしたいと思う訳です。

『開炉』に思うこと

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

少し後れ馳せながら、昨日は私の社中も炉開きでした。

 

炉開き、開炉とはなんぞや。

不審菴のホームページにはこのようにある。

 

開炉 
かいろ 

11月はじめ立冬を待って炉を開くことをいい、「炉開き」とも呼ばれる。11月より翌春5月まで、半年間炉による茶の湯がおこなわれる。また、その年の春に摘まれた新茶を使いはじめる口切の茶の頃と重なって、開炉の頃は茶の湯の正月ともよばれる。千利休の頃は柚の色づくのを見て炉を開くともいわれた。

表千家不審菴

 

茶の湯のお正月』

 

どうやら茶の湯の歳時記は新暦と旧暦が混ざっていて、11月に開炉で、1月は正月初釜のため、年末年始にかけて非常にイベントが多くあわただしく感じるのだが、本来は旧暦の10月なので正月まで3ヶ月の間がある。間隔としてはちょうど良かったのかもね。

 

畳の上に置いた『風炉』から、畳を切った『炉』に変わるとお点前もがらりと変わる。半年ごとのサイクルだが、全く気分が変わる趣向で茶の道を進むものをマンネリ化させない巧妙な手口だと毎回思う。

 

また、春に摘んだ茶葉を壺に積めてこの時に壺の口を切るという儀式が行われた。

現代は茶道具屋さんや百貨店に行けば真空パックに入った緑の美しいお茶が変えてしまうが、保存技術が発達していない昔はこの口切りの茶が一番新鮮で緑に輝き美味しいお茶だった。

10月頃の名残の茶は道具も侘び錆を感じさせるが、茶も侘びた色になっていたものだろう。

 

今も茶壺を開いて茶事を催す方もいるそうだが、慣例として茶壺の拝見だったり席入りの挨拶などのお稽古をする教室が多いと思う。

 

表千家だからか分からないが、無病息災を願って先生お手製のお汁粉が振る舞われるのが最も楽しみ(笑)

小豆は魔を除ける意味があるそうだが、そんなことは忘れるくらい美味しい。

 

炉を開くためには灰を作らなくてはいけない。先生方は並々ならぬ苦労をされているのは忘れてはいけないところ。

 

稽古で出た灰を集めて番茶で色付けし、乾かし粒を揃えるために濾したりなどして濡れ灰を作る。

 

茶人の家で災害時に何をもって逃げるのか?

それは『灰』なんだそうだ!

『灰』は1日ではできぬし買うことも(昔は)ない。ゆっくり手入れして育てるもの。

 

何もかもがぽちっと手に入る時代になったけれど、手間隙かけることについて考える機会。

 

それが開炉の時期かもしれないなと思う。

きものは着てこその美

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

着物好きは様々いて、大きく3つに分かれる。と、思う。

 

  1. それぞれツボが違うが、好みのジャンルを制覇したいコレクタータイプ。
  2. 着物を買う行為が好きなショッピングタイプ。
  3. ファッションとしてただ着たいタイプ。

 

さらに上記の複合型もあり(笑)

 

私は3の要素が一番大きくて、私にとっての着物は『着るもの』。

むしろ、着倒すくらいにお気に入りにラインナップする着物と出会えたら多幸感が半端ない。

 

逆に着るシーンがなかなか現れない着物は買ってしまったことの落胆と後悔の念が強い・・・。

 

着物は沢山着て裾が傷んだら、ほどいて仕立て直すことができる。

若かった時の着物の色が年齢にそぐわなくなったら染め替えもできる。

 

私は以前に所有者が着倒した本結城を、リサイクルショップにて破格のお値段で手に入れ、仕立て直した。

綺麗に洗われた表地、紺地にターコイズブルーの八掛(裏地のこと)。

素敵に生まれ変わった着物は新品同様に見えるけれど、なんとまあ肌馴染みの良い柔らかさ!

 

お気に入りの1枚で、着やすいので旅行にまで連れていった。

 

さらに最近は、年上の友人が若かりし頃に着ていた30年以上前の小紋の着物を譲り受けて、こちらも仕立て直した。

生地は全く傷んでないし、むしろしっかりしてるくらいでお気に入りで着ている。

 

着物は昨今のファストファッションとは真逆の長く着る知恵が詰まっている衣装だなと感心してしまう。

(ファストファッションについて私もお世話になってるので否定はしない)

 

しかし、2と3パターンの方に有りがちな・・・買ったものの箪笥に眠らせていて着ないまま・・・ということになっている着物もたくさんあるようで。

でも、それぞれの幸せで購入しているのでそれに対して決して非難はしません。

 

お陰で、私などが手に入れられる高級品も出てくる訳で・・・ゴホン。

 

でも、なかには着たいけど、着付けとかメンテナンスとか、買ったものの色んなハードルを感じて躊躇している方々がいることは推測するのだけれど・・・。

着付けもお免状など要らないから、単発でお手頃価格で教えてくれる場所はあるし、メンテナンスも思ったほど大変ではありませんよ。購入したお店で教えてくれると思う。

 

箪笥に眠っている1枚があったら是非着てほしいなぁ~。

 

着てみると、意外と通りすがりの人に誉められたり、レストランで待遇良かったり、ホッコリする出来事に出会えますよ。

 

やはり、着てこそ美しさが発揮されるのが着物。

 

さて、来週はお茶会。何を着ようか今からワクワクしております。

 

 

www.madobekissa.com

 

11月15日はきものの日

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

おサボりが過ぎました(笑)

ちょっと燃料切れて日々が過ぎておりました。

 

本日、11月15日は『きものの日』だそう。

正直なところ私もよく知らないので調べてみた。

"11月15日はきものの日"の提唱
全日本きもの振興会は、昭和41年に本会が結成されて以来11月15日を"きものの日"に制定し、提唱してまいりました。
きものの日を制定することになったいきさつは、昭和39年の東京オリンピックに、東京を訪れた世界各国の人々から「日本の民族衣裳は"きもの"だと思っていたが、きもの姿をほとんど見かけないのは何故か」との声を受けて、本会のシンボルとなる日を制定すべく、11月15日を"きものの日"と制定し、以来、きものの普及と振興を図ってまいりました。
特に"きものの日"を中心に、その前後は「七五三詣り」など、きものに因んだ企画や行事が、毎年全国各地で盛大に展開されてきています。
本会としては、今後とも引き続き、"11月15日はきものの日"を広く提唱し、日本の伝統衣裳としてのきものが、大勢の人々に親しまれ普及発展することを念願しています。

 

ふむ。全日本きもの振興会というところが制定した日でなのね。

きもの業界は密やかに?大々的に?アピールしてる、のかな。

 

しかし、前回の東京オリンピックの時点できもの姿をほとんど見ないようになってしまっていたのは衝撃というか寂しいというか・・・

 

きもの業界の衰退が叫ばれる昨今だけど、太平洋戦争後の混乱期、欧米化が進んだことや着物にお金をかける余裕も無かったためか、『ケのきもの』はすっかり衰退し、業界も儲かる『晴れのきもの』だけにシフトチェンジしてしまったのだろう。

 

しかし、善い兆しとして見たいけれど、昨今は木綿や麻の『ケのきもの』が見直されて、一部の若者が興味を示している。

高価なきものは手が届かないけれど、数万円で手に入る木綿や麻のきものは、若者向けに明るいポップな色合いも増えて楽しい世界になりつつある。

 

また、昭和の時代に流行った、レトロなリサイクル着物もお手軽価格で手に入る。

 

きものは高価で着るのもメンテナンスも面倒臭いという中高年のオバサマの言い分も露知らず、きもの警察もなんのその、好きなファッションのひとつとしてカラフルな着物で動き回る女子がもっと増えるといいなぁ~。

 

考えただけでワクワクしちゃうね。

 

きものは民族衣装であるけれど、色々あるファッションのひとつと思っている私の想いです。

空中ループ”見エズ在ルモノ”を口ずさむ

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

最近、音楽を聴いてココロのバランスを保っているせいかアンテナに引っかかってきたバンド『空中ループ

10月31日、世間がハロウィンで荒れ狂った日にメジャーデビュー。

アルバム『見エズ在ルモノ』が発売された。

 

ついこの間、くるりα-station『FLAG RADIO』で岸田さんとお話しをしているのを聞いていて、フロントマンの松井さんのトークが結構ツボだったから余計興味が出た。

(どこでも全国のラジオが聴けるなんていい時代だなあ・・・)

 

てか、『ダークマター』って曲名だけで宇宙好きな私にはツボなわけで(笑)

 

ダークマターってなによって・・・あんた。

 

暗黒物質(あんこくぶっしつ、英: dark matter ダークマター)とは、天文学的現象を説明するために考えだされた「質量は持つが、光学的に直接観測できない」とされる、仮説上の物質である。"銀河系内に遍く存在する"、"物質とはほとんど相互作用しない"などといった想定がされており、間接的にその存在を示唆する観測事実は増えているものの、その正体は未だ不明である。

 

見えないけれど、あるとされている物質。

あるとかないとか何かと物理学の世界を賑わす存在。

考えただけでワクワクする・・・しませんかね?

 

脱線したけれど・・・(汗)

なんというか、宇宙とか空を唄うバンドは好きです(なんだこれ)

 

で、もっと脱線すると、最近曲を聴きながらコーラス担当をするのに嵌っています。

 

ダークマターいいですよ。ちょうど女性のパートを高音でマネして口ずさんでます。

この女性も主旋律なのかな?

 

言葉遊びのような、でも意味深な歌詞もおもしろいし、独特なリズムと世界観を感じます。そして、練られているけれど爽やかさを感じるメロディ。

 

アルバムはタイトルどおり、見えないけれど存在するものがテーマになっている曲が収められています。

ちょっと哲学的なテーマなのも35歳若者ではないな。

 

京都のバンドっていうと一見古風なイメージを持つかもしれないけど、京都人ってやっぱりスゴク先進的でオシャレな感覚を持っているよなあと感じる。

都会とか地方とか、粋とか野暮とか、そういうものとは逸脱した世界のなかにいる人たちだって勝手に私は思っているとこがある。

 

 


空中ループ「ダークマター」ミュージックビデオ

 

結成10年でメジャーデビューというのも若手感がなくてアラフォーとしては何故か安心して聴けるところ(笑)

ホント何故だかわかんないけど。

 

密かに追っかけてみたいなと思うバンドです。

 

 

見エズ在ルモノ

見エズ在ルモノ

 

 

映画『日日是好日』感想

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

この映画の勝手に宣伝してたけど、やっと観てきました!!

 

madobekissa.hatenablog.com

 


『日日是好日』予告 2018 年10 月13 日(土)公開

 

www.nichinichimovie.jp

 

真面目で、理屈ぽっくって、おっちょこちょい。

そんな典子は母に勧められてお茶を習うことになった。

二十歳の春だった。

それから二十四年。就職の挫折、失恋、大切な人との別れ。

いつも側にはお茶があった。

(公式HPより)

 

想像してたように・・・。いえ、それ以上に沁みたあああ。

もうね、ポロポロ泣きましたとも!

 

茶道に興味が無くても、日々を一生懸命悩みながら暮らす人たちみんなに何かが伝わる作品だと思う。

考えすぎてしまう現代人にとって茶道ってなんて素敵なんだろう!という気持ちが詩情豊かに表現されていてうれしかった。

 

 

お稽古の始め、初心者のふたりはお点前の動作がいちいち不思議でたまらない。

何のためにそんなことをやるのだろうでイッパイ。

武田先生は頭で考えるんじゃないのと笑う。

 

 

私も型を体に染み込ませるうちにたくさんの言葉にはできない学びがあった。

精神が研ぎ澄まされるような、癒されるような。

 

また、科学的にも体の動きと感情が連動していることが分かっている。手を広げて嬉しいポーズをすると、嬉しいと感じる。

鏡を見てニッコリする。楽しいと叫んでみる。すると楽しい気分になってくる。

 

茶道の所作にも利休が仕組んだ意味があるのではないか

と勘ぐったりしてしまう(笑)

 

集中して茶を点てる。茶室に佇む。

 

経験したことがないと、同じ動作の繰り返しを退屈そうと思う人もいるかもしれない。

 

けれど、茶道を続けるうちで私も主人公と同じで何かを気づく。大袈裟に言うと『悟る』瞬間があるのだ。

その至福の一瞬を味わうために茶の道を歩いているのかもしれない。

 

 

映画を観ているだけで、ムズムズと茶室に行って茶を点てたい衝動に駈られてしまった(笑)

 

 

生活ルーティンのなかに茶の湯が組み込まれてしまうと手離せないのも不思議なもの。

 

物語は二十四節季とともに進む。

季節の移り変わりと人生をなぞりながら。

 

日本の美しい四季のなかで、私たちは悲喜こもごもありつつも淡々と歩んでいく。

 

私たちにとって、茶の湯を嗜むことが人生の目的ではない。ただただ人生に寄り添って背中を押したり、背中をさすってくれたりそんな存在なのだろう。

 

どんな日であっても『日日是好日』と真に思える。そんな人になりたいと思った。

 

 

エッセイも再び人気が出ているらしくて、嬉しいですね~(*^^*)

表千家不審庵は応援という立場なのもちょっと控えめ過ぎて微笑ましいです。

 

樹木希林さんの武田先生はお茶目でいて、懐の深さを感じる素晴らしい先生。

黒木華さんが原作の雰囲気を柔らかく出していて微笑ましかった。

世武裕子さんの音楽、最近よく耳にするな。音のイロドリがまた素晴らしいのでした。

 

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 
好日日記―季節のように生きる

好日日記―季節のように生きる

 

 

日日是好日

『京都醍醐寺』展 見仏レポート

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

不定期企画『見仏トーク』をやりたいと思います。

主旨は仏像と対面して脳内妄想トークをするというだけの誰の役にも立たない企画なので次回が有るかは分かりません。

 

今回は開催期間ぎりぎりのサントリー美術館で開催中『京都・醍醐寺展』です。

 

daigoji.exhn.jp

 

展覧会の後は茶道の稽古だったので、着物に少し悩む。仏像に逢うのだし華やかなのは止めとこう。(そんなルール無いですよ!気分)

泥染めの大島紬に黒の道行きコート。白襟に白足袋。

ちょっとだけ僧侶風~と思い込む。

 

先ず会場で目に飛び込んできたのが、仏像ではなくて、みうらじゅん氏といとうせいこう氏の見仏トーク付きのイヤホンガイド!

聴くべしと即決。

 

トップバッターは如意輪観音座像。

 

初っぱなからあまり匂い立つような美しさと耀くオーラに仰け反ってしまった。

 

私 お、お美しいですね。

如 そうであろう。ホホホ。ゆっくりご覧なさい。

 

側面から拝見させていただくが、どの角度も美しくも威厳がある。右下を向く流し目がなんとも艶かしい。6本ある手の指先まで神経が行き渡り、たおやかさが伝わってくる。

既に感極まりそう!

 

お次は、快慶作の不動明王座像。

 

私 失礼ながら、こんなにイケメンの不動明王さまは初めてです❤歯並びも綺麗ですね。さすが快慶作。

不 うむ。そうであろう。

私 視線の先に入らせていただきます❤

不 うむ。良かろう。困った時はこの羂索で救おうぞ。

 

こんなに均整の取れた引き締まった不動明王さまに胸キュンしきり。

後背の焔。焔のなかの鳳凰カッコ良い~❗

ここで、気づいたのだが私は快慶仏がどうも好きらしい・・・快慶の仏はとっても優美で品がある。リアリズムを追いつつも運慶とは違う優しさが垣間見できて心トキメクのだ。

 

快慶さん。貴方をもっと知りたいです。

仏師に恋する昼下がり。

 

醍醐寺のアイドルグループ、五大明王

 

私 ご・・・ゴレンジャーでしょうか?もしかして、ジャニーズ?

五 ・・・?

 

五大明王は割りと無口なのか、私の言っている意味が分からないのか。

いや、みうらじゅんのグルコサミンに気を取られてしまったから(笑)

 

おめめパッチリで脚長い、手も長い、顔も小さい。少年を想わせる肢体ではなかろうか。

仏像なのだが仏像らしくない。

中でも真ん中の不動明王は目の大きさにビックリ。色が落ちて分かりにくいが黒目も書かれていて製作当初はもっと色鮮やかで違う印象なのだろうなぁ~

そして、大威徳明王の牛さんがカワイイわぁ。連れて帰ったら怒られるな。

 

THE 醍醐寺不思議仏ワールド炸裂な5人衆。

 

最後は、薬師如来座像および両脇侍像

 

私 大きいですねぇ。なんと素晴らしい。

薬 やっと参ったな。随分と待ったぞ。何度も呼んだであろう。

私 はい。スミマセン。始まったのはツイッターでみたのですが・・・来ようと思いつつ忘れてました。

薬 まったく。困ったものだな(笑)

私 見つめていただいて光栄です。慈愛が伝わります~

 

仏様を拝見するときのポイントだが、実際のシチュエーションを想定して目を合わせてみる。そのポイントがいちばん美しく拝見できる場所なのだ。

薬師如来は正面から左側へ移動してもずうっと慈しみの目を合わせてくださった。

 

私 いつか醍醐寺にも参りとうございます。

薬 待っておるぞ。

日月 おいでなさい。おいでなさい。

 

何となく、一番薬師如来さまに親近感を感じた拝観。

 

他にも素晴らしい仏像や宝物がたくさんあったのだが割愛をお許しください。

イヤホンガイドはみうらじゅん氏といとうせいこう氏の相変わらずのやりとりにニヤニヤしてしまうこと必至である。

ふざけているようで、「ヘェー」と感心する専門知識も満載なので是非とも聴いてみてくださいませ。

 

見仏の時に妄想トークはなかなか愉快なのでオススメです(笑)特に一人旅なども孤独感ゼロになること間違いないですね。

 

さて、帰る前にみうらじゅん氏イラストの『見仏野帳』をゲットして満足。

 

11月11日まで開催です。

ほんとに豪華な展覧会だわ。

 

京都の醍醐寺まで足を伸ばしたいなぁ。

映画『ここは退屈迎えに来て』感想

茶人を目指す、窓辺亭主ミワコです。

 

はじめに書いた記事がなんか違うなあと思い書き直しました。

自称フジファブリックオタクの活動として、劇伴をしている映画『ここは退屈迎えに来て』を観てきた感想です。

 

taikutsu.jp

 

詩的なタイトルが鮮烈な印象を残す、山内マリコが2012年に発表した処女小説が遂に映画化。2004年の高校時代から2013年までの時間軸の上で、みんなの憧れの的だった「椎名くん」を柱にキャラクターを交差させながら描く、痛く切ない群像劇が誕生した。
27歳の「私」は、何者かになりたくて東京に出たけれど、10年が経ち、なんとなく実家に戻った。高校時代に仲が良かったサツキちゃんと、当時みんなの憧れの的だった椎名に会いに行くことに。一方、地元に残った「あたし」は元カレの椎名のことが忘れられずに苦しんでいる。

(公式HPより)

 

一言で表すと切ないより辛かった。

でも、何故に辛いのか分からずに1週間も悶々としていたのだったであります(汗)

 

今朝、お風呂でぼんやりしていたら私も似たようなことをやったのが蘇ってきて、モヤモヤの正体が分かって納得した。

思い出したくない記憶だったから封印していた気持ち悪さだったのね。

 

成田凌さん演じる椎名くんほどイケメンくんでもカリスマでもないけれど、私は中学生時代に好きな男の子がいた。

サッカー部のそこそこ人気のある少年だ。結局のところ好きなんて言えなくて終わった他愛ない小さな恋。

大学生の頃に、懐かしさもあって友人のつてでその男の子とその他同級生で会う機会を作って貰った。既に昔過ぎて、会った時の詳細が思い出せないんだけど、4人くらいで会ったのかな?

もう一人きた同級生の方が、しっかり大人になっていて素敵だなぁと思ったような気がする。

 

しばらくして彼から電話がかかってきて、会社の先輩がいるんだけど今から飲みに来ないかという誘いだった。

でも電話の後ろは、男性が怒号を上げているのが聞こえて怪しさ満点。絶対に行きたくないので今は無理と言った。

しかし、彼も必死でなかなか引き下がらないのだ。

私は今は付き合っている男性といると嘘をついて断った。

 

「お前遊んでるんだな!」

 

と蔑んだように言い捨てられて電話は切られた。

 

今だったら男の子側の事情を詳細を聞いてみたかもしれないなぁなんて思うけど、二十歳そこそこの私は何も返せずに中学校の頃の淡い恋心が儚く砕け散った情けない気分でイッパイだった。

 

その時はただビックリした。泣いたわけでも悔しいと地団駄踏んだわけでもないけれど、昔を掘り起こすのは良くないと感じた。それだけだと思っていた。

しかし、記憶を塗り固めて奥底にしまっていたことがわかり、存外トラウマになっていたようだと客観的に理解した。

 

 

この映画はいろいろな立場の登場人物が椎名くん中心に、それぞれの人生の葛藤を重ねた瞬間を綴っている。

 

富山が舞台ということは路面電車から分かるのだが、地元にもありそうな国道とか田畑とか、中高生の頃の空気感を懐かしく思える多いシーンが散りばめられているから観客は登場人物の誰かに自分を重ねていくだろう。

 

私は苦い過去の記憶を呼び覚まされてしまったのだけど、思い出したことでなんだか可愛かった自分を慰めて愉快になった(笑)

 

それぞれが若さゆえのボンヤリした不安を抱える。観ている側もそれを思い出す。

物語に寄り添うフジファブリックの楽曲が浄化してくれるような鎮魂してくれるような、不思議な感覚に誘う。

 

登場人物が歌う『茜色の夕日』も世代を表現していて、また都会と田舎のなかを行き来する私はこの曲の味わいかたをひとつ教えて貰った気分。

 

個人的には黒猫チェルシー渡辺大知さんの演技に唸っていた。

何でこんな演技ができるの~❗と驚愕しつつも、彼の演技は『色即じぇねれいしょん』から注目してるし好きなのです。ふふふ。

 

新保くんの複雑な人生がシーンごとに浮き彫りになっていくようで苦しい。

 

そして、彼の『茜色の夕日』はもっと聴きたかったなぁ~。涙出そうになった。

 

ラストはHSPとしては、ニガイし『私』だったらしばらく立ち直れない衝撃シーン。

 

主題歌『Water lily flower』が最後の救いのように希望を歌う。

これほどこの映画に合う曲があるだろうか。

 

意図してるかどうか分からないけれど、蓮の華から垂れた糸にしがみつきながらも上に向かって進んでいくそんな崇高な耀きすら感じるのだ。(蓮華はLotas flower だから違うかな)

 

明日に希望を持ちたい人に観て欲しい映画でした。

 

Water Lily Flower

Water Lily Flower

茜色の夕日

茜色の夕日

フジファブリック

 

Water lily flower 収録アルバムFAB FIVE とコンピレーションアルバム

FAB FIVE(初回生産限定盤)(DVD付)

FAB FIVE(初回生産限定盤)(DVD付)

 
「ここは退屈迎えに来て」 -オリジナル・コンピレーション・アルバム-

「ここは退屈迎えに来て」 -オリジナル・コンピレーション・アルバム-